2016/08/31
VRはタイムマシンに! 表参道の100年を旅してきた
Oculus RiftやPlayStation VRなどのヘッドマウントディスプレイが発売され、今年は「VR元年」になるともいわれている。コンテンツの制作ツールやプラットフォームも増え、ゲームや映像などのエンタメだけでなく、商業施設や不動産、広告など、さまざまな分野で活用が進みそうだ。
KDDIでは今年の5月、「Galaxy S7 edge」(SAMSUNG)の購入者全員にゴーグル型HMD(ヘッドマウントディスプレイ)「Gear VR」をプレゼントするキャンペーンを行った。こちらは話題のVRを手軽に体験してもらおうという試みだったが、このたび発表したのは、いのちの森と共同で制作した体験型VR学習コンテンツ。公開されたばかりの、その内容を紹介しよう。
VRは、現実には見られない景色を見せてくれる
あらためて説明するまでもないけれど、VRとは「Virtual Reality(仮想現実)」の略である。現実には存在しないバーチャルな世界を構築し、あたかもそのなかに入り込んだかのような体験をできるのが醍醐味だ。現実の映像を使うにしても、深海からエベレストの頂上、果ては宇宙空間まで、一般の人が行けないような場所へもHMDを装着するだけで行くことができる。
一方、今回のVR学習コンテンツの舞台は、明治神宮から表参道駅にかけてのケヤキ並木。距離としては、東京・表参道の約1kmの範囲で完結する。「タイムトリップミュージアム『明治神宮表参道ケヤキ並木の100年』」と題されたこの学習コンテンツは、表参道を3つの定点から眺めながら、空間だけでなく時間軸も移動するのだ。
今でこそ世界中の高級ブランドが集まる商業地だが、表参道はもともと、明治神宮への参拝者のための参道として、1920年に造られた道。当時のこの地域は「穏田(おんでん)」と呼ばれ、武家や大名の屋敷が建ち並ぶ、江戸の名残のある街だったそうだ。参道の両脇に現在のランドマークになっているケヤキが植えられたのは、翌年の1921年。その後、1923年の関東大震災で多くの家屋が倒壊。さらに、1945年の山の手大空襲でケヤキの木はほとんどが焼けてしまう。最初に植えられた201本の苗のうち、今も残っている木は8本だけ。残りの木は、1948年に加勢造園・春日造園という地元の植木屋によって植えられたものだという。
震災、空襲から復興した原宿が、若者文化の拠点になるまで
現在の東急プラザ前から、神宮前交差点を望むとこんな感じ
原宿がファッションやカルチャーの発信地として発展するのは、1950年代以降のこと。現在、代々木公園がある場所には、終戦後にワシントンハイツと呼ばれる米軍宿舎が建てられ、近辺ではアメリカ文化の影響を強く受けた。特に街が発展したのは、ケヤキの高さが12mほどに成長した1964年。世界的なスポーツの祭典の舞台となったことで街の景観は大きく変わり、1970年代~90年代にかけて「原宿族」から「裏原系」まで、さまざまなユースカルチャーを生み出していく。今回のVR学習コンテンツでは、こういった原宿の歴史が紹介されている。
100年の歴史をたどったあとで、現在のケヤキに触れる
1981年、原宿シャンゼリゼ会が行った樹勢診断によって健康とされた木は、わずか2割弱。この診断を受けて、ケヤキ基金が開設され、並木の保全が行われた
このように街が華やかに発展し、表参道を訪れる人が増えるなか、1980年代には表参道の商店会「原宿シャンゼリゼ会」によってケヤキ並木の保護活動が始まった。現在、表参道の歩道に設置されていて、多くの人が座って休んでいる柵は、1989年にケヤキ並木の保護を目的に設置されたもの。シャンゼリゼ会は1999年に「原宿表参道欅(けやき)会」に名称を変更し、緑と共存する街づくりを目指して現在も取り組みを続けている。
今回、KDDIといのちの森が制作したVRコンテンツは、いのちの森のサイトやau公式YouTubeアカウントで公開されるほか、2016年9月1日~11月30日の間、渋谷教育学園渋谷中学高等学校をはじめとする渋谷区の中学・高校などにauから「Galaxy S7 edge」と「Gear VR」の貸し出しを行い、生徒たちは精細な映像でこの100年間の歴史を振り返る。最先端のVR技術を使って歴史を体験することで、いつものケヤキ並木が違って見えてくるのではないだろうか。
文:T&S編集部
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