2018/05/25
一度行ったら14カ月帰れない 昭和基地での南極生活 オーロラ、ペンギン、バーで息抜き
KDDIは国立極地研究所に毎年1名の社員を出向し、南極地域観測隊越冬隊(以下、南極越冬隊)の隊員として南極の昭和基地に派遣している。
南極は言うまでもなく過酷な環境の極地であり、通常の海外赴任とはまったく状況が異なる。昭和基地に近づける時期が限られることから、往復の航路を含めると、一度行ったら約14カ月、日本には戻れない。
南極ではどんな暮らしを送っていたのか? そして日々の業務内容とは? 第58次南極越冬隊の一員として2016年11月に日本を発ち、約1年間に及ぶ南極生活を経て2018年3月に帰国した笹栗隆司に話を聞いた。
三度目の正直で、ようやく南極へ
――まずは南極生活お疲れ様でした。
「ありがとうございます。大きな怪我や病気もなく無事に帰国できたことがなによりです」
――笹栗さんはそもそもなぜ南極越冬隊に志願したんですか?
「普段の業務を飛び越えて、新しい経験を積むことができる貴重な機会だと考えたからです。実は過去に二度、社内選抜で落ちてしまったのですが、三度目の正直でようやく隊員に選ばれました」
――三度目! それだけ南極に強い思いがあったんですね。
「それもありますが、何度も応募したのは、選ばれなかったことが悔しかったから、というのが大きいです(笑)。20代最後の年に南極越冬隊の隊員に選ばれて、本当にうれしかったです」
LINEやFacebookが隊員たちの心の支えに
――笹栗さんの現地での業務内容について教えてもらえますか。
「私の主な任務は、昭和基地内のネットワークおよび日本とつながる衛星回線の運用保守です。昭和基地はKDDI山口通信衛星所とネットワークでつながっているので、その通信アンテナが故障していないかの点検や、スイッチやルーターといったネットワーク機器がつつがなく動作するように維持することが私の役割でした」
――素朴な疑問ですけど、南極でもインターネットって使えるんですか?
「はい、使えますよ。昭和基地のネットワークは、インテルサット衛星通信によってKDDI山口衛星通信所と接続され、そこから立川市の国立極地研究所に専用線で接続されています。昭和基地と極地研の距離は約14,000kmありますが、内線電話はつながり、イントラネットにも接続できます。昭和基地のネットワークは基本的には観測用ですが、伝送容量のスキマを使って隊員向けにもインターネット通信を提供しています。基地内ではWi-Fi経由でスマホ(データ通信)を利用することができます。回線速度は3Mbpsほど。3Gのケータイよりも低速な回線を隊員全員で分け合って使います」
――ネットワークに問題が発生したことはありましたか?
「数回ありました。ひとたびネットワークに障害が起こると、ほかの隊員たちから『LINEが使えない』『Facebookがつながらない』といった苦情が私のもとに寄せられます。そうならないように、不具合には誰よりも早く気づけるよう心掛けました」
――隊員のみなさんは現地でLINEやFacebookを使っているんですね。
「みなさん、LINEやFacebookといったコミュニケーションツールを活用して、日本にいる家族や友人とやり取りをしています。そしてそれが、隊員たちの心の支えになっています。通信のチカラが果たす役割の大きさを改めて実感しました」
日本とはまったく異なる、南極での日々の暮らし
――南極での日々の暮らしについて教えてください。隊員のみなさんはどういったところで暮らしているんですか?
「私たちの代は隊員が33名。それぞれに個室が与えられます。広さは4畳くらい。ベッド、机、クローゼット、本棚などがあります。お風呂、トイレ、洗面所は共同です」
――洗濯はどうしていたんですか?
「共同の洗濯機を利用します。屋外には干せないので部屋干しするしかありませんが、湿度が20%くらいしかないのですぐに乾きます。ただ、布団を天日干しできないのはつらかったですね」
――食事はどうでしたか?
「2名のシェフが交代で毎食おいしい料理を提供してくれました。今回はフレンチとイタリアンのシェフだったので、おいしいうえに、盛り付けも美しかったです。おかげでついつい食べすぎて、南極滞在中に5kgも太ってしまいました(笑)。趣向を凝らしたメニューはどれもおいしかったですが、個人的には特にカレーが楽しみでした」
過酷な環境だからこそ、息抜きが大切
――隊員のみなさんは、1日の仕事を終えたあとや、休みの日はなにをして過ごしているんですか?
「麻雀、卓球、ビリヤード……人それぞれですが、私はDVDを観たり、本を読んだり、みんなとお酒を飲んだりしていました」
――南極にはお酒もあるんですね。
「ビール、日本酒、焼酎、泡盛、ウイスキーなど、ひと通りありました。宿舎内にバーもあります。
ただ、越冬中は補給がないため最初に持ち込んだぶんがすべてで、飲み切ってしまったらそれでおしまい。私たちは最初から結構ハイペースで飲んでしまって、途中で在庫が尽きてしまうのではと危ぶまれたんですが……。みんな1日あたりに飲む量を制限して、なんとか最後まで持ちました」
オーロラ、蜃気楼、星空……数々の絶景との出会い
――約1年間に及んだ南極生活。いろいろあったと思いますが、特に思い出に残っていることは?
「やっぱり生で見るオーロラは感動しました。オーロラは観測上、肉眼で見えないものを含めるとほとんど毎日出現しているのですが、曇っているとみることができません。晴天の日で、視認できる輝きの夜は年間で30日間くらい。そのなかでも、色がきれいなオーロラが出現したのはほんの数回です。
また、オーロラのほか、昼は蜃気楼、夜は南十字星をはじめとする星もきれいに見えました。周囲に光源が少ない南極ならではですね」
――ペンギンやアザラシは見ましたか?
「たくさん見ました。昭和基地の周囲に子育てにやってくるのです。隊員のなかにはペンギンやアザラシの研究者もいましたので、そのお手伝いで生息数を数えたりもしました」
“雪かき”の翌日は激しい筋肉痛に
――逆に、つらかったことはありますか?
「雪かきが本当につらかったです。南極は降雪が多いのですが、真冬にあたる7月から8月にかけては特に多く、ブリザード(吹雪)が毎週のようにやってきます。
吹雪が収まったら急いで計器などに異常がないかを確認。そして建物の周囲を除雪する必要があります。広い場所は重機で一気に雪を運びますが、建物の下などはひたすら手で雪かきしなければなりません。これも越冬隊の重要な任務です。ただ、体力的にはかなりハードで、翌日は激しい筋肉痛に見舞われました。
あと、つらかったことといえば、現地で欲しいものがあっても手に入らないことですね。私の場合、お菓子がそれでした。『いま、あのお菓子が食べたい!』と思っても、昭和基地の近くにコンビニなんてないですから(笑)。まあ、そのぶん、お金を使わなくて済むわけですが」
南極で得た貴重な経験を、今後どう生かすか?
――笹栗さんは今回、南極越冬隊の一員として現地に派遣されるという貴重な経験をされたわけですが、その経験は今後の仕事にどう生かされると思いますか?
「南極での越冬経験を通じ、社外の様々な方と関われたのは貴重な経験であり、また、責任ある立場で、自身の役割を全うすることには非常にやりがいを感じました。基地の衛星通信を1年間保守することで、家族・友人とのコミュニケーションが隊員の元気を支えている様子、利用者の“つながる姿”を間近で見ることができました。彼らの笑顔に『私の仕事も、単純なデータの伝送ではなく、その向こうにあるお客様の笑顔や元気をつないでいるのだ』と改めて気付かされました。この先もお客様の笑顔をつなぐために頑張ります」
文:TIME&SPACE編集部
写真提供:第58次南極観測隊
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