2013/02/19
東日本大震災からの復興にKDDIの経験と知識を 被災地自治体への社員出向で新たな街づくりを支援
現地に入って「復興はこれから始まる」と実感
東日本大震災からまもなく丸2年。仙台駅周辺部など、震災前の日常にほぼ戻ったように見える地域がある一方で、沿岸部の復興はまだまだこれからという状況にある。
復興の進捗に大きな差がでるなか、2012年7月、KDDIは、田中社長直轄の「復興支援室」を仙台市に開設している。大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の東北3県の本格的な街づくりを支援し、それまで社内の各部門で個別に行われてきた復興支援活動を統括・強化するためだ。
KDDI復興支援室長の阿部博則さん
大震災から1年以上過ぎた時点で、支援部署を立ち上げる企業は少ない。2011年7月から社内公募による被災地ボランティアを定期的に派遣し、瓦礫の撤去作業や通学路の雪かき、わかめの塩蔵作業、仮設住宅への訪問などをしてきたKDDI社内にも、新たに復興支援室を開設しようという動きに対して、「なぜ今頃?」という空気があったとか。
だが、昨年の2〜3月の2カ月間、東北大学研究員として復興状況を現地調査していたソリューション事業本部(当時)の阿部博則さんは、東京や被災地の外から想像するのとは異なる、被災地の実情を肌で感じていた。「これから復興支援組織を立ち上げ、活動を始めても、被災地では喜んでもらえる」と気づいていたのだ。
「当時は『復旧』と『復興』という言葉が曖昧に使われていましたが、瓦礫処理、更地化、高台造成といった事業を『復旧』とすると、復旧後にその地でどういう生活を築き、どのようなコミュニティを作っていくのかが『復興』で、『復興』はまだまったく始まっていませんでした。ですから、支援室開設の意味は十分にありました」と阿部さん。
被災地支援のカテゴリーには「人・物・金」の3種類があると言われるなかで、阿部さんは人的支援に着目した。震災でかなりの数の職員を失った自治体では、残された職員が複数の部署の仕事を掛け持ちせざるを得ないことが多い。掛け持ちをすると緊急性の高い仕事が優先され、情報通信技術(ICT)のような馴染みの薄い領域や、長期的なプラン作りにまで手が回らなくなる。そこで、阿部さんは、人員不足から復興が滞り気味の自治体に、KDDIの負担でICTに詳しい社員を派遣し、支援するプランを提案した。
人手不足に苦しむ自治体に復興支援社員を派遣
復興支援室開設のゴー・サインが出ると、阿部さんは室長に就任。6月中旬、「地元の方に少しでも親近感を持っていただく」ため、東北出身者や在住経験者を条件にメンバーを社内公募すると、被災地への関心が高く、復興支援に意欲的な20余名の応募があった。そのなかから選ばれたのが、販売促進業務などに携わってきた岩尾哲男さん、顧客対応業務と人事関連業務に就いていた石黒智誠さん、ソリューションが専門の福嶋正義さんと情報システムが専門の加藤英夫さんの4人。全員所属が異なり、社内の各部署と協力関係を築くのにもってこいのバランスのいい人選になった。
田中社長から「風化させるな」との訓示を受け、支援室は8月に本格始動。仙台で開かれる復興関連の集会への参加や、ローカル・イベントへの協賛から活動を開始した。KDDIは、昨年から、仙台で開催されている復興コンサートもサポートしている。
同時に被災自治体と社員の出向派遣の交渉を進め、2012年10月からは石黒さんが釜石市の広報広聴課でITC活用関連事業に、12月からは岩尾さんが気仙沼市の秘書広報課でFacebookや市のホームページの運用管理や広報活動に従事している。
釜石市への出向は、打診から入庁まで約1カ月の猛スピードで決まった。
「8月末に出向の話が持ち上がり、9月中旬にはほぼ決まったので、9月20日に人事の取り決めに市役所にうかがいました。するとその場で10月1日からの登庁を希望されました。対応の早さに驚き、そう言われた私たちの方が、あまりの急展開に慌てました」と言う石黒さんの話は、人手を求める自治体の切実さがうかがえるエピソードだ。
「10年ほど前に妻と気仙沼を訪れたときの印象は、『大きな漁港や市場がある活気にあふれた町』でした。ところが、今回の出向前に訪れると、仙台では見ない、傾いたビルが片付けられずに残っていて、正直、『ここまでしか復旧が進んでいないのか』と愕然としました。それでも震災直後の瓦礫の山の写真と比べれば、1年半でよくここまで復旧したと感心します」と、被災地の様子について、岩尾さんはしみじみと語る。
石黒さんが出向する釜石市役所
釜石市役所では、広聴広報課に所属
地元住民の方のお宅を訪問して、復興作業の相談をすることも
岩尾さんが出向する気仙沼市役所
辞令を受け、気仙沼市役所の方と
広報広聴課に所属。着任当時は、メディアから取材も受けた
被災した人たちとともに暮らす意義
石黒さんが入居している仮設住宅。冬場は寒さがこたえるという
現在、石黒さんと岩尾さんは、それぞれ勤務する市の2Kの仮設住宅で単身生活中。
「仮設住宅はひとつの長屋を何軒かに仕切っているだけで、隣の人と話せるほど壁は薄いですし、同じ棟に住む5、6人の誰かが出入りする度に、ドアの開け閉めで仮設全体がガタガタします。それに、とにかく寒いです。帰宅するとコートも脱がずに、まず石油ファンヒーターの前にしゃがみ込み、10分ぐらい体と部屋を温めてからでないと動けません」
岩尾さんの言葉に、石黒さんもうなずく。その住環境で二冬目を迎えている被災した方々の間に「復興は進んでいない」という思いが募るわけも、出向してから実感しているそうだ。
実はこの経験こそ「現地に入った大きな意義になる」と阿部さんは信じている。一緒に時を過ごし、同じような住環境で暮らし、その立場でニーズを聞いてはじめて、被災した方々が本当に欲しているものが何なのかを理解し、本音を引き出したり、隠れたニーズを汲み上げることができるからだ。
「お話を聞いて、『そうなんですか?』じゃなくて、『ですよね!』と共感できますから。うなずけることは大きいですよ」と岩尾さんも言う。
年明け早々には、2月からの福嶋さんの出向先も、東松島市の一般社団法人「東松島みらいとし機構」に決まった。東松島市では、市が復旧事業を、みらいとし機構が復興事業を担う。民間の力を活用しようとしている東松島で、福嶋さんのプロジェクトマネジメント経験を生かすことが期待されている。メンバーで一番若い加藤さんも、出向先との交渉が進行中である。
被災地での経験を全国で生かす
復興支援室の皆さん(前列左から)福嶋正義さん、阿部博則室長、岩尾哲男さん、(後列左から)加藤英夫さん、石黒智誠さん
復興に邁進している地域があれば、ようやく瓦礫撤去を終えて、これから更地化を目指すような、まだ復旧途上の地域もある。被災地では、この著しい地域間格差も問題になっている。
「各自治体が個別に復興事業をするよりも、復興にはグランドデザイン(全体構想)が必要ではないかといった話をよく耳にしますが、加藤君が出向すれば、KDDIが関わる4つの自治体では互いの状況を知ることができるようになります。他の地域の動きにヒントを得つつ、自分たちにとっての最善策や、一緒に良くしていける部分を見つけられるのではないでしょうか。それがグランドデザインにつながればいいですね」と阿部さんは期待する。
復興支援室の活動は5年を1つの区切りとしている。阿部さんによれば、「被災地の方々が、もともと暮らしていらっしゃった場所に戻って地元で働けるようになり、賑わいが戻るなど、再び『自らの足』で立てるようになることが、復興の最終目標です。私たちは、その助力となるべく、本当に自治体が望むものを愚直に提供していきたい」とのこと。それが将来、被災地の人たちとよい関係を築くことにつながればと願っている。阿部さんは続ける。
「今回、復興で東北入りしていますが、東北では、壊れたものを直す復旧・復興だけでなく、過疎化や高齢化といった、もともとあった問題が本当に深刻なんです。今回の震災で、先延ばしにしてきたこれらの問題に、即刻対処しなければいけなくなりました。自治体の方々には『時計の針の進み方が少し早くなった』という考え方をされる方もいらっしゃいますが、震災やこれらのもともとあった問題は、今後、日本全国どこでも起こり得るものだと思っています。ですから、将来には、私たちがこの震災の復興活動を通して得ているノウハウを、各地で役立てられるようにしていきたいですね。それから、非常に小さい組織で、いろんな方々の協力を得ながら、一緒にやっていきたいと思っています。これからの日本のためにも、東北を忘れないでください」
つながる心 つながる力 みんなでつくる復興コンサート2013 supported by KDDI
- 日時:
- 2013年 3月9日(土) 15:00開演
- 会場:
- 東京エレクトロンホール宮城
- 出演:
- 仙台フィルハーモニー管弦楽団、宮城三女OG合唱団(「宮城の誇り」と慕われている実力派女声合唱団)、臼澤みさき(「復興の歌姫」こと岩手県大槌町出身の14歳)
取材・文:豊田早苗
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