2015/06/02

野良猫は自由気ままに生きている?

「猫は自由でいいなあ」と猫派の人間は考える。
とくに心惹かれるのが野良猫だ。でも、本当に気ままに生きているだろうか。

すべて自分で決める

「自由気まま」や「気まぐれ」は猫の性格の代名詞のような言葉である。

たしかに、猫は何か要求があれば飼い主にすり寄ってくるものの、それが満たされた途端、 プイッとつれない態度をとる。猫じゃらしで一緒に遊んでいても突然、全く興味をなくして、 どこかへ行ってしまう。

猫がこのように「気まま」なのは、ネコ科の動物がもともと集団生活をしない動物だからである(ライオンはその例外)。みんなで協力して目的を達成するという習性がないので、狩りにしても何にしても、必要なことはすべて自分で決めて、単独で行動しなくてはならない。猫には、相手の顔色をうかがって行動する必要などないのである。

対照的なのは、 群れで暮らし、集団で狩りをするイヌ科の動物である。

司令塔であるリーダーへの服従と、忠実さか求められる群れの中では、猫のように「自由気まま」ではやっていけない。人間の組織も、これとどこか似ている。この「気まま」な態度を容認できるか、そうでないかが、いわゆる「猫派」と「犬派」の分水嶺なのかもしれない。

しんと静かな夜の集会

しかし、孤独を愛する野良猫たちも、集まることがある。それは、古今東西を問わず目撃されている「猫の集会」である。夜の静まりかえった公園や、神社の境内などの開けた場所で、猫たちの集会は開かれる。まるで示し合わせたかのように、猫がどこからともなく集まってきて、そして、うつぶせの状態で共に時間を過ごす。その場には、張りつめた緊張感というものはないが、かと言ってリラックスしているようにも見えない。数時間後に、猫は1匹、また1匹と静かに去ってゆく。そして誰もいなくなる。まるで宗教の儀式のようでもある。

それにしても、なぜ猫はこのような集会を開くのだろうか? この現象の意味はいまだ解明されていない。

島に棲む野良猫の生態を研究していた7年の間に、私は何度もこれに遭遇した。この謎を解こうとしたこともあったが、結局は断念した。猫たちは終始無言で、ただただじっとしているだけなので、解明の糸口さえ見つからないのである。

じっとしているのに...

野良猫は独り、自由気ままに生きているように見えても、猫社会のなかではお互いの情報を交換する必要もある。たとえば、発情の状態や健康状態のアピール、新しく移動してきた猫との顔合わせ等。もしかすると猫の集会は、そのような情報交換の場なのかもしれない。猫は6万5000ヘルツの音域まで聴くことができるし(人は2万ヘルツまで)、 嗅覚は人の数十万倍ともいわれている。人には、無言で静的な集会のように見えていても、実は人の感覚器には感知できない領域の情報を使って、動的なコミュニケーションを行っているのかもしれない。

最先端の技術や機器を用いれば、このことは検証可能かもしれないが、ミステリアスな「猫の集会」は、ずっと謎のままであってほしい、とも少し思う。ミステリアスは猫の魅力のひとつなのだから。


文:山根明弘 絵:大坪紀久子


上記は、Nextcom No.22の「情報伝達・解体新書 彼らの流儀はどうなっている?」からの抜粋です。

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Akihiro Yamane

北九州市立自然史・歴史博物館 学芸員
1966年生まれ。九州大学理学部卒業。
同大学大学院理学研究科博士課程修了。博士(理学)。
京都大学霊長類研究所などを経て現職。
専門は動物の生態学、集団遺伝学。
著書は『わたしのノラネコ研究』(さえら書房)、『ねこの秘密』(文春新書)など。

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