2018/04/05

昭和基地の『通信』を守るKDDI社員50歳奮闘記 暴風圏を越えペンギンの群れに遭遇

日本から14,000km離れた「南極」に赴任中のKDDI社員による連載が今年もスタート! 2017年11月に日本を出発し、その後14カ月も日本に帰れない彼の南極滞在中のミッションは「昭和基地の通信環境をひとりで守る」こと。日々の業務の様子から、食事や暮らし、そして休日の過ごし方まで、現地からのレポートをお届けしていきます。


50歳の節目で、南極観測隊に志願!

TIME & SPACE読者のみなさん、はじめまして。第59次南極地域観測隊 LAN担当の齋藤勝と申します。

私はいま、南極の昭和基地にいます!

昭和基地の看板の前に立つ、第59次南極観測隊の齋藤

KDDIでは毎年1名、国立極地研究所に社員を出向させ、南極観測隊員として昭和基地内のネットワークおよび昭和基地と日本をつなげる衛星回線の運用保守を現地で行っています。私は第59次南極観測隊の一員として採用され、2017年11月27日に日本を発ち、約1カ月後の12月21日にこちらへやってきました。

これまで私はKDDI社員として、ルーターやスイッチといったIP設備の保守運用や、ミャンマーでの携帯事業の立ち上げなどを経て、その後は那覇テクニカルセンターや沖縄海底線中継所の設備全般の保守運用を担当していました。

そんな私が、なぜ南極観測隊に志願したのか? それは、50歳という節目の年を迎え、あらためて自分自身を見つめ直したとき、こう思ったからです。「もう一度、自分を奮い立たせる仕事をしたい」「これまで培ってきた技術で、会社に恩返しをしたい」「将来を担う世代の子供たちに、南極のことをもっと知ってもらいたい」と。

実はだいぶ以前から、南極への憧れはありました。しかし、過酷な越冬生活を乗り切れる自信がなく、志願を躊躇しているあいだに、社内選考の年齢制限により応募できる最後の年になってしまったのです。

いま志願しないと、一生後悔するかもしれない――
そう考えて、今回思い切って志願しました。

出発前の「訓練」が欠かせない

私の南極での業務をひと言で表せば、「昭和基地の通信インフラ全般の保守運用」です。扱う設備は衛星回線システム、無線ネットワーク設備、有線ネットワーク設備のほかに昭和基地内に点在している定点カメラ、隊員が使用するパソコン、南極授業などで使用する放送設備といった具合に多岐にわたります。そこで、これらの設備を昭和基地で保守運用できるように、国内で事前に訓練を受けます。

私が受けた主な訓練を紹介すると……。

巨大なパラボラアンテナが立ち並ぶKDDI山口衛星通信センター KDDI山口衛星通信センター

まず最初に訓練を受けたのはKDDI山口衛星通信センターです。こちらには直径5メートル、10メートル、あるいはそれ以上大きなパラボラアンテナが20数機設置されています。昭和基地に設置してあるインテルサット通信アンテナと同じ型のアンテナもあります。各種測定器の操作習得、衛星モデム、衛星アンテナのメンテナンス方法など、運用スキルを習得するために1週間訓練を受けてきました。そしてメーカーで大電力アンプの性能評価試験を1日かけて行ってきました。

また、昭和基地のインフラ設備も日本と同様、耐用年数を迎えるタイミングで部品の交換を行います。今回、衛星システムへ電気を供給しているUPS(無停電電源装置)の蓄電池の交換を予定しています。1個あたり10kgもある蓄電池を全部で28個交換する大がかりな作業です。そのため、メーカーで丸1日、蓄電池交換方法について動作シーケンスや、交換手順について 実際に手を動かして訓練を受けてきました。

これらの訓練内容すべてが、昭和基地での作業に生かされます。国内ではなにかあれば、簡単に問い合わせることができますが、昭和基地では単純な問い合わせひとつにしても時間を要する場合が多いのです。緊急を要する故障が発生することもありますから、訓練内容については、理解して必ず自分のものにしなければなりません。

「しらせ」に乗って、いざ南極へ!

2017年11月27日、成田空港からオーストラリアへ飛行機で移動。翌日、西オーストラリアのフリーマントル港から、砕氷船「しらせ」に乗船しました。

西オーストラリアのフリーマントル港に停泊中の砕氷船「しらせ」 海上自衛隊の砕氷船「しらせ」

数日間フリーマントルに停泊後、12月2日に出航。昭和基地に到着する12月21日まで、船内での生活になります。

ここで約3週間に及んだ「しらせ」での暮らしを紹介します。

船内の食事はとても美味! 金曜日は「カレーの日」

砕氷船「しらせ」で食事の用意

食事は3食とも、自衛隊が栄養面を考慮して調理してくれます。献立の種類が多く、とても美味しいのですが、ボリュームのある献立が多いため、気を付けないとすぐに太ります……。

砕氷船「しらせ」で毎週金曜日は「カレーの日」

毎週金曜日は「カレーの日」、毎月29日は「肉の日」など、船内での暮らしならではの、日付によって決まった献立もありました。

運動不足解消のために、甲板でランニング!

砕氷船「しらせ」の甲板でランニングをする男性

船内では運動不足になりがち。そこで、悪天候を除いて、運動のために甲板が解放されます。ランニング散歩をする人が多く、なかには球技や楽器の練習をしている人も。さらに、観測隊と自衛隊が一緒に運動をしている珍しい光景をここでは見ることができます。

航海中も訓練や業務で大忙し

砕氷船「しらせ」で救命胴衣を身に付け、訓練に取り組む隊員たち

船内では、ヘリコプターの乗降訓練やヘリコプター誘導用発煙筒使用方法、救命胴衣、無線機の使用方法など、さまざまな訓練も。また、隊員間の相互理解を深めることを目的に、各隊員の業務内容をテーマとした「しらせ大学」が開校され、熱心にメモを取る人も多く、会場の席がすべて埋まったこともありました。

砕氷船「しらせ」で第59次南極観測隊のための通信インフラの構築と保守を行う齋藤
砕氷船「しらせ」で第59次南極観測隊のための通信インフラの構築と保守を行う齋藤

もちろん、船での暮らしをのんびり楽しんでいたわけではなく、航海中も業務が課せられていました。LANインテルサット担当業務の一環として、観測隊向けの通信インフラの構築と保守です。航海中に観測隊がメールと電話を利用できるようにするため、しらせ乗船時に、メールと電話が利用可能な環境を整備する必要があります。そのため乗船後、すぐにメールサーバーの設置、メールアドレスの整備、観測隊共有ファイルサーバー設置、衛星電話システムの整備、しらせ内のネットワーク整備を行います。

乗船してから数日間は、この作業に忙殺されます。フリーマントル港に停泊中も景色を眺める余裕はほとんどありませんでした。

暴風圏を通過し、待望の“初氷山”が見えた!

暴風圏に突入し、大きな波をかぶる砕氷船「しらせ」

フリーマントルを出航した頃は半袖姿で甲板を出歩けるほど気温が高いのですが、南下するにつれて気温が下がり、風が強くなっていきます。強風によるうねりにより、船が大きく揺れるようになると、船酔いしやすい隊員はベッドから起きてくることすら困難に……。

そして、南極へ近づくほどに荒れる海の様子を意味する「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と呼ばれる暴風圏に突入していきます。この時期は、通路を千鳥足のようにして歩く隊員をよく見かけました。

砕氷船「しらせ」の船内で「南緯55度通過」と書かれたプレートを手にする齋藤

そんな中、12月7日にようやく区切りである南緯55度を無事に通過。そして、12月8日6時42分40秒には待望の初氷山が視認されました。

砕氷船「しらせ」の船内からみた氷山(初氷山視認から数日後)
砕氷船「しらせ」の恒例行事となっている、初氷山視認の日時予想で2位となり、艦長から表彰される齋藤

しらせ主催で毎年恒例となっている、初氷山視認の日時予想をする行事で、私は幸運にも誤差6分で全体の2位に! 艦長から艦橋で表彰を受けるという大変名誉な経験をさせていただきました。

いよいよ南極へ。早速ペンギンの群れを発見!

海氷上を一列になって進むアデリーペンギンの群れ
日なたにいるペンギンの群れ
滑ったり、歩いたりしているペンギンの群れ

初氷山を視認すると、あっという間に氷の世界となり、ペンギンアザラシクジラといった動物を頻繁に見ることができます。活発に動いているペンギンを眺めていられるほか、うまくいくと親子のクジラを発見できることも。船内の隊員は、思い思いに双眼鏡やカメラをのぞき込む姿が目立ちます。

分厚い氷を砕きながら突き進む!

分厚い氷に乗り上げて、氷を砕きながら少しずつ前へと進む、ラミング航行をする砕氷船「しらせ」

南極に近付くにつれて、海は一面が氷となり、次第に氷が厚くなっていくため、しらせは氷を砕きながら昭和基地を目指します。分厚い氷を前にしたときは、船を一度200〜300メートル後退させてから最大速度で前進し、氷に乗り上げ、船の自重で砕きながら、少しずつ前へと進んでいくんです。この航法を「ラミング」と言いますが、昭和基地へ到着するまで、何度もラミングを繰り返す必要があります。

ラミング中は艦内中に「ガンガン」「ドンドン」という衝撃音がこだまします。第56次(2014年出港)では、分厚い氷が多かったため、約5,400回ものラミングを記録しましたが、今回は氷が薄く27回にとどまりました。

ラミング航行で南極の氷を砕きながら進む砕氷船「しらせ」
昭和基地に間近に迫った砕氷船「しらせ」

南極大陸から4kmほど離れた東オングル島に位置する昭和基地。上陸する際は通常、しらせから発艦する自衛隊の大型ヘリコプターを利用します。

砕氷船「しらせ」から昭和基地へ上陸するために、自衛隊の大型ヘリコプターに乗り組む隊員

12月21日、いつもより早く朝食を食べ終え、昭和基地で暮らすために必要な日用品や着替えなどの荷物をヘリポートへ運搬します。荷物は自分の体重を合わせて100kg以内というルールがあり、なんでもかんでも持ち込めるわけではありません。そして短い待機後に、観測隊が一斉にヘリコプターに乗り込み、離陸。10分後には昭和基地へ着陸しました。

日本を離れ、やっとの思いでたどりついた昭和基地ですが、旅路の最後はとても目まぐるしく、船旅の余韻に耽っている暇もないほどでした。

14カ月におよぶ南極生活が始まった

夏の日差しで雪氷が溶け、土壌が露出している、12月の昭和基地
夏の日差しで雪氷が溶け、土壌が露出している、12月の昭和基地

12月の昭和基地は夏のため、雪氷が溶け、土壌が露出しています。殺伐とした土地に建造物が立ち並ぶ様子は、未開の地の工事現場のよう。しらせから見ていた海氷の世界とはまったく異なる、土だらけの世界です。

昭和基地に到着すると夏宿舎へ移動し、荷物を整理したら夕食、風呂、就寝で、あっという間に初日が終了。翌日から早速、建設作業が始まりました。

夏期間中である1月中には越冬生活の準備を終わらせる必要があることや、1年間に予定されている建設作業の大半を行う必要があることから、建設の経験のまったくない隊員がほとんどですが、全員が力を合わせて作業に取り組みます。夏期間は日が沈まないこともあり、活動時間が長く、一日中、外での作業となることも珍しくありません。

越冬交代(前次隊からの交代式、今回は2月1日)以降は、各自が与えられたミッションに就きます。ほかの隊員の協力を得ることもできますが、それぞれが次の年の越冬交代までに完遂しなければならないので、判断は各々に委ねられます。日本とは異なり、環境が不十分な面が多々あるものの、前向きな姿勢で地道に取り組んでいくことが大事だと感じています。

通信インフラは、昭和基地でも非常に重要な位置づけとなっています。通信を止めることなく、無事に1年間の任務を全うできるように、精一杯頑張っていきたいと思います!

南極・昭和基地の看板の前に立つ第59次南極観測隊の齋藤

文・撮影:齋藤 勝

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