2015/05/22

米『テニス・チャンネル』が切り開くストリーミング放送戦略

365日・24時間、テニス番組だけを放送

テニス・チャンネルの提供するストリーミング放送「テニス・チャンネル プラス」(提供:The Tennis Channel)

いま、米国のテレビ業界では、大手ネットワーク局も、ケーブルTV局も、こぞってネットで番組を放送するデジタル・ストリーミング事業に参入中だ。その中でも、他局に先駆け1年前からストリーミング放送を開始し、確実に顧客を獲得してきたスポーツ専門局がある。365日・24時間、ひたすらテニス番組だけを放送する「テニス・チャンネル」だ。

テニス・チャンネルのデジタルメディア責任者であるアダム・ウェア氏

「テニスは、メジャーリーグ・ベースボールやフットボールと違い、シーズンオフがほとんどないスポーツなんです。つまり、1年中、世界のどこかでトッププロの試合が行われている。コアなファンたちは、お目当ての選手が地球の裏側で戦う場合でも、多少の時差があろうとも、エキサイティングな試合を決して見逃したくないわけです」。そう語るのは、テニス・チャンネルのシニア・バイス・プレジデントで、デジタルメディア責任者のアダム・ウェア氏だ。

日本でも、錦織 圭選手の活躍でテニスの生中継の視聴者が増え、夜中に起きて観戦するファンは多いが、このテニス・チャンネルのように、365日・24時間、テニスだけに特化した放送局は世界でも珍しい。12年前の2003年に設立されてから、グランドスラムと呼ばれる世界四大大会や、マスターズなどの試合の放映権を獲得してきたテニス・チャンネル。メジャー大会だけでなく、オリンピック、国別対抗戦のデビスカップやフェドカップもカバーし、世界の試合をリアルタイムと録画で米国在住の視聴者向けに放送してきた。

試合中継だけでなく、選手へのインタビュー企画や元トップ選手をキャスターに起用した戦略分析番組など、多様なコンテンツを提供している。視聴者は全米各地のケーブルTVプロバイダーを通し、テニス・チャンネルを含むパッケージを購入して視聴するのが一般的だ。専用のアプリ「テニス・チャンネル エブリウェア」で、スマホでもタブレットでもリアルタイムで放送を見ることができる。

センターコート以外のゲームもストリーミング放送

この通常放送とは別に、ウェア氏が中心になって1年前に立ち上げたのが、TV業界では「オーバーザトップ(OTT)」と呼ばれるネット専用のストリーミング放送「テニス・チャンネル プラス」だ。この「プラス」放送は、ケーブルTVプロバイダー経由で視聴者に課金するのではなく、視聴者が直接「テニス・チャンネル」のウェブサイトで1日パス、1カ月パス、年間パスの3つのうちのどれかを選んで申し込み、クレジットカードで料金を直接支払う方式。ケーブルTVへの加入は必要なく、ネット環境さえあればスマホでも、Apple TVでも、PCでも、タブレットでも見ることができる。

通常のケーブルテレビ放送と、ストリーミング放送ではどうコンテンツを違えているのだろうか。ウェア氏はこう説明する。「例えば、昨年の5月の全仏大会では、6つのコートの試合をすべて同時にカバーしました。これは史上初です。通常のテレビ放送ではセンターコートで行われるメインの試合をライブで流し、ストリーミングでは同じ時間帯にそれ以外の5つのコートの試合をすべて同時に見られるようにしたんです」

ディープなテニスファンは、センターコートの上位選手のメインの試合の生中継だけでなく、1回戦からルーキー選手たちの試合もじっくり見たい場合が多い。だが、コマーシャルによる広告収入もあり、視聴率を気にしなければならないテレビ放送の場合、マイナー選手の試合をライブでゴールデンタイムに流すのは難しい。その点、ストリーミング放送なら、コマーシャルなしで、局側も視聴率を気にしなくてよいため、スター選手以外のニッチなコンテンツも流しやすいのだ。

今年のドバイ大会でのジョコビッチ対フェデラーの決勝の試合の最中、ストリーミング放送では、最近のデビスカップの試合や女子のドーハ大会の試合を流していた。多くの視聴者が見逃してしまったけれど、見たかった試合をうまく入れ込み、多種多様なコンテンツを同時提供できるのが強みだ。

ストリーミング放送もテレビ画面での視聴が中心

ストリーミング放送は、Apple TV経由でテレビ画面にて見ている視聴者が多いという

「テニス・チャンネル」の通常のテレビ放送、ストリーミング放送とも、視聴者数は社外秘とのことだが、まだテレビ放送の視聴者の方が圧倒的に多い段階だという。ストリーミングの場合、デバイス別に見ると、Apple TVを通してテレビ画面でストリーミング放送を見ている視聴者がいちばん多いとのこと。小さなボールを追うスポーツだけに、大画面の方がスマホ画面より圧倒的に見やすいからだろう。Apple TVはテレビ画面上でスマホと同じアプリを操作するわけで、画面が大きいだけにリモコンでアプリ操作もしやすい。

「Apple TVを買える層というのは、かなり収入のある層です。ストリーミング放送に加入した人の登録住所を見てみると、実際、お金持ちが住むような住所が結構多いんですよ」とウェア氏。テニスはサッカーなどと比較して富裕層のスポーツともいわれるが、テレビ放送とストリーミング放送のダブル加入者たちが、目下、いちばんのドル箱ファンということになる。

「テニス番組の視聴者の約7割がテニスを実際にプレーして楽しんでいるので、今後はそんなアクティブな視聴者に向けて、レッスン番組やフィットネス、栄養番組も提供して、そこからテニスラケットなどの物販もできるようにしたい」と、新ビジネスも積極的に広げていく方針だ。

スポーツ放送のストリーミング化が急ピッチで進んでいるアメリカだが、プロ・ボクシングのメイウェザー対パッキャオ戦では、ペイパービューの視聴に多くのアクセスが集中し、ネットワークがダウンして、大量の視聴者がライブ視聴できないという事態が起きてしまった。ウィンブルドンや全米オープンなど、大きなトーナメントの際は大丈夫なのだろうか? 「スーパーボウル並のアクセスがあれば別ですが、サッカーのワールドカップぐらいのアクセス数なら、放送のキャパ的にはまったく問題ありません」とウェア氏。

10年以上前のインタビューがお宝コンテンツとしてよみがえる

それでは、世界四大大会やその他のトーナメントは、ストリーミング放送の存在をどう受け止めているのだろうか?

「フレンチ・オープンのように、より多くのコートの試合を中継したいというトーナメント側の意向とストリーミング放送は相性がいいんです。約2週間という短い大会期間中にいかに放映権を売るか、そして大会の名を広く、多くの人に知ってもらうかが大会側の課題ですからね」とウェア氏。

ストリーミング放送では、10年以上前の過去の選手のインタビュー番組も掘り起こして積極的に流し、マッケンローやアガシといった往年のチャンピオンたちの懐かしい試合も放送している。

「実は、古いインタビュー番組のビデオが倉庫にずっと眠っていたんです。テレビ放送では新しいインタビューしか流せませんからね。でも、ストリーミング放送で、試しに古いコンテンツを放送してみたら、すごく人気があって、お宝コンテンツだということがあらためて分かりました」と言う。

「テニス・チャンネル」は、ケーブルテレビ向け放送も、ストリーミング放送も両方見られるアプリを独自に開発し、使い勝手にこだわった。「2クリック以内で見たいコンテンツがすぐ見られるような簡単なつくりにしないと、忙しい視聴者はアプリを使ってくれません」(ウェア氏)

特に若者の場合は、家にテレビがない視聴者も多いため、スマホの小さい画面でもテニスの試合を堪能できるような高画質とカメラワークにもこだわってきた。

ウェア氏は、ストリーミングの1日パスを4ドル99セントの価格に設定した。

「1日パスでお試し視聴してもらって、そこから年間パスを買おうかな、と思ってもらえればベストです。ストリーミングのいち押しコンツはやはりデビスカップです。国別対抗の試合は見ていて燃えるし、観客が試合中に大声を出して応援していい唯一のテニス試合なので、サッカーのワールドカップみたいな興奮を味わえる。テニスファンじゃなくても、夢中になれる要素がいっぱいなんです」

文・写真:長野美穂