2017/02/13

【イノベーターズ】「月間数千万枚! 累計数億枚! 名刺をデータ化し、働き方を変える男」常楽 諭

通信やICTにまつわる"なにか"を生み出した"イノベーターズ"。彼らはどのように仕事に向き合ってイノベーションにたどり着いたのか。インタビューを通して、その"なにか"に迫る。今回は、この人がなにをしたかという以前に、まず記憶を探っていただきたいのですが、みなさんは「井上ビルディングシステムズ」の3人が、「浅葉建設社」の案件を巡って奮闘している姿をどこかで見たことないですか?

――毎回、井上側は競合に敗れる。競合はどうやら浅葉のキーマンである田中常務に直接アタックしていたようだ。だが、井上にその術はなかった。だって誰も田中常務を知らなかったのだから! だが、井上側の若手社員は田中常務と面識があり、名刺交換もしていたというのだ! 「それさ......」部長を演じる松重豊は口走るのである。

「早く言ってよ〜」

SansanのCMである。部長の松重豊に、若手社員の満島真之介が「その人知ってる」と告げるのだが、実は人違いだったり、すでに異動していたりで、結局は常に競合に「してやられる」ことになる。

「実際によくあるんですよね」と語るのはSansan株式会社創業メンバーで取締役の常楽 諭(じょうらく さとし)さん。
で、社名と同じ「Sansan」は、法人向けのクラウド名刺管理サービスの名前でもある。簡単にいうと、社員一人ひとりがもらった名刺をデータ化して一元管理する。そしてそのデータを社内で共有できるように「名刺を企業の資産に変える」ものだ。あと、個人向けの無料名刺アプリ「Eight(エイト)」というのもある。

きっかけは、誰しも経験のある「あの会社の人、誰か知ってる?」問題

「発案したのは、代表である寺田 親弘(てらだ ちかひろ)です。彼は前職が三井物産でした。他社になにか案件を提案したいときって、先方のキーマンを知らなければ、ひとまずはお問い合わせ窓口に連絡しますよね。イチから巡り巡ってようやく担当者にコンタクトが取れて、会いに行ったら、"あ、御社だったら○○さんよく知ってますよ"と。また、それがすぐ隣の部署の人間だったりするケースがよくあったそうなんです」

どんな会社でも「先方に誰か知り合いはいないか」というやり取りは頻繁に行われる。だってそれで格段に距離は近づくし、一段上のステージから話が始められますからね。で、しかも寺田さんが職に就いたのが1999年。折しもIT化の波が押し寄せている最中だった。そんななかで依然として"紙"でやり取りされる名刺の非効率さにも愕然としていたのだと言う。

「だから逆に、いつまでもIT化されない部分で、名刺は人脈を表現するツールになりうると。これをうまくデータ化して共有することによって、働き方は変わるんじゃないかって思ったそうです」。

こうしてSansanは2007年に創業される。

名刺管理サービスは実によくできていて、交換した名刺を登録して社内で共有するだけでなく、社内の誰がもらった名刺なのかも一目瞭然。名刺の相手が異動したり昇格すると情報はアップデートされるし、メールの一括配信や、「いつ誰が」その相手にコンタクトしたかというログも残る。また、日経や帝国データバンクと連携し、企業情報をSansan上で閲覧できる。Sansanは名刺を軸に企業と人の情報が活用できるプラットフォームになっているのだ。

大手システムインテグレーターで、おもに通信ソフトウェアやデジタル衛星放送システムの設計・開発責任者を務めていた常楽さんは創業に参画し、「Sansan」の開発部長・プロダクトマネージャとなった。名刺のデジタル化に関して掲げた絶対的な価値観は「簡単・早い・正しい」だった。

「まず前提としてそれがないと話になりませんので。市場にはすでにOCR(光学文字認識)みたいなものもありましたし、個人向けスキャナーとCD-ROMがセットになったアプリケーションも市販されていましたが、それじゃ100%の正確さを維持できない。名刺のデータなんて電話番号やメールアドレスが一文字違うだけで、まったく価値がなくなるわけじゃないですか。そこに信頼が置けなければ、そんなアプリ、どんどん使わなくなりますよね。ですから"正しさ"はとにかく重要視してきました」

でも実は、それを実現するための特殊なメソッドがあったわけではなかった。で、「Sansan」が採用したのは、「人力」。

「設立当初は、会社の創立メンバー5人で深夜まで割り振りしてカタカタ入力するようなこともありましたよ(笑)。でも、いずれこれは技術力でカバーできると思いました」

夢は冒険家! 保守的なエンジニアが「名刺のデータ化」に見た未来

常楽さん、自分は保守的な人間だと言う。お父さんは自衛官だそうで、小さい頃から独立心を促すように「比較的、放任主義でしたね。ただし、自分のケツは自分で拭けっていう」。手に職をつけ、エンジニアとして順調にキャリアを重ねていたのが、突如ベンチャーの創業に関わったのはなぜか。

「『Sansan』によって名刺という文化や出会いの文化を変えられる、人の考え方や行動を変えて新しい"当たり前"をつくれるチャンスだと感じたからです。それまでの私の保守的な視点からいえば、不安でしたし、安定的なレールから降りるというのはあってはならないこと。経済面でも、軌道に乗るまでは無報酬という状態からスタートしました。ただこれは成長できるだろうと思ったんです。会社を立ち上げ、サービスを提供し、世の中にその真価を問うことは、前職では体験できない、人として、技術者としての成長にもつながると」

ちなみに、子どもの頃の将来の夢は、冒険家。
「ベースは保守的なところにいるんですが、自分がドライブされる要素=ワクワク感があると、踏み切るというか。保守的だと自覚していたからこそ、目の前にチャンスがあったら"つかまなきゃ!"って思うところはあったのかもしれません」

夢と現実をつないだ方法とは

最初は創業メンバー5人の人脈から営業を始め、創業1年目には毎月数万枚の名刺を入力していた。契約企業は順調に増え、創業3〜4年目にもなると月々数十万枚ほどにも膨らんでいた。契約企業の側には専用スキャナーを貸与し、ユーザーなら誰でも名刺をスキャンすることができる。

スマホのカメラでも登録可能で、その画像データをSansan側ではOCRと人力を組み合わせて入力している。届く名刺の枚数は季節によって波がある。

「創業当時は入力センターでの作業工程しかありませんでした。直接アルバイトさんを雇って、ルールを設定して教育期間を設けて、作業にあたってもらっていたんです。コールセンターみたいなイメージですね。PCがダーッとあってみんな一斉にカタカタ入力する。教育は十二分に行き渡るので、精度の点では良かったのですが、効率は良い状態ではなかったです。人が動く話なので名刺の枚数が多い時期には入力チームがパンク状態になりました」

そこで考えた。「季節要因などで変動する名刺の枚数に応じて雇う人員の波を小さくするにはどうすればいいのか」

「雇用する人数が月ごとに変わると、その都度非常にコストがかかりますし、教育などの作業も煩雑になる。名刺の枚数はコントロールできないので、人員の波を無くしたい。だったら時間が自由になる、在宅の人たちの隙間時間を活用させてもらうのがいいだろうと思ったんです。2010年ごろ、まだあまりいわれていなかったクラウドソーシングですね」

ただ、不特定多数の在宅の人に名刺の画像を丸ごと渡し、すべてのデータを入力してもらうことなどありえない。また「社名」「部署」「個人名」「電話番号」「メールアドレス」などなど、いちいち項目を認識しながら入力する作業に手間がかかるし意外に難しいことはわかっていた。

「でも"単に文字の羅列を入力する"だけなら効率はぜんぜん違うんですね。それで、名刺の内容を項目ごとに細かく分割したんです。入力フォームに応じて、名刺のレイアウトを見て"ええと会社名はどれだ?"みたいに考える必要もなく、どんどん機械的に入力してもらえるようにしました。それだと新しく始める人に教育期間を設ける必要はないし、姓と名、メールアドレスの「@」の前と後ろというように、情報を細かく分割しているので1つの分割された画像だけでは意味がない状態にしているためセキュリティー面でも問題はない。さらにクラウドソーシングにすると、直接雇用に比べて桁違いに人がいます。つまり、適材適所でフローを細分化させるためのマイクロタスク×クラウドソーシング」

クラウドユーザ側は隙間時間の有効活用。仕事の増減によって大きく不満が出ることはない。ただし仕事が無ければ当然離れていくし、精度を維持しながら継続することは難しい。

「そこは考えましたね。逆に言うとユーザーさん的には"やってもやらなくてもいい"。不満がないぶん、クオリティを維持するという意識もあまり高くならない。"仕事"感を前面に出すと嫌になるだろうし、報酬も高く設定しないといけない。でも"ゲーム"ってなると、波に乗ればすごく進む一方で飽きがきちゃうんですよね。仕事と遊びの中間。苦しすぎず楽しすぎず、リズム良く入力できるような作業用のアプリケーションをつくるのに苦労しましたね。近い所で、昔はやったタイピングゲームみたいなイメージかな」

それで入力ペースは一気に倍になった。でも人力にも限界はある。そこでR&D部門を設置し、より効率良く入力することや、人力ではない自動化の研究開発も始まった。名刺を入力しやすくするための画像処理や、言語に依存しない項目の分割や、一般的な名刺の知識(例えば名刺の左上には大体会社名や、氏名、部署、ロゴがレイアウトされる)や、人力入力でよく間違う癖などを機械学習させて精度を担保しつつ自動化した。

「マイクロタスク×クラウドソーシング。自動化」

この2本立てで名刺のデータ化は飛躍的にスピードアップし、今では「Sansan」の契約社数は5,500社以上。「Eight」のユーザーは150万人を超え、毎月データ化される名刺の数は約数千万枚に達している。

名刺データ化のさらなる可能性とは?

「名刺のデータ化は、当社においては電気・ガス・水道と同じようなインフラ。セキュリティー担保しつつ、なにがあっても流れを止めず、精度も落としてはいけないものです。こうした業務に携わっているとどうしても、考え方や行動が保守的になる。ただ、それでは進化しないんですね。そこで、これまでの手法とは異なるクラウドソーシングや、パートナーさんに作業量や品質をコミットしなくてもよいオペレーション業務など、新しい手立てを考え実施しています」

それもまた、冒険家マインドの発露なのだ。そしてさらに未開の地を切り開いていく。常楽さんが取り仕切る部署では、名刺のデータ化のバージョンアップと並行して、データをいかに有効活用できるかというミッションに取り組んでいる。

「我々のデータベースには名刺が数億枚あります。おそらく日本国内のホワイトカラーの方の50%ぐらいに相当するのではないかという規模感なんですね。分量も正確性も人脈の網羅性を兼ね備えたデータを持った会社はあまりないと思うので、そこは我々の希少価値なのではないかと。それで、今は次のステージへの展開を考えています。例えば、私の名刺交換の履歴を分解していくと、やはりデータサイエンスなどの大学関連の方、研究開発などに関わる企業や担当者が多い。それで、常楽という男はそういうジャンルに関わる仕事をしているのだとタギング(タグ付け)できる。すべての名刺や繋がりに関してそうした分析を行うことで、名刺の主や会社の属性がわかり、それをグラフ化すると、本当に会うべき人にあうべきタイミングでリコメンドが出来たりするのです。当社のミッションは「ビジネスの出会いを資産に変え、働き方を革新する」こと。AIを活用して、ミッションの達成に近づくことができるかどうか、すごくワクワクしています」

文:武田篤典
撮影:有坂政晴(STUH)

常楽 諭

Sansan株式会社 取締役 CISO 兼 Data Strategy & Operation Centerセンター長
1999年、日本ユニシス・ソフトウェア株式会社(現:日本ユニシス株式会社)入社。ネットワークビジネス統括部に配属。2005年セールス&マーケティング本部に異動、翌年に共通利用技術本部を経て、07年5月に退職。07年Sansan株式会社の設立に参画し、取締役就任。