2016/09/23
【イノベーターズ】「連絡帳をデジタル化し、次世代の子育て環境を創る男」森脇潤一
今回は「保育園の連絡帳」をICTを使ってイノベートした男の話である。
実際に子どもを通わせてるお母さんたちには言わずもがなだけど、保育園の連絡帳ってすごく大事なのである。ごはんとか睡眠時間とか体温とか、ちっちゃい子の場合はミルクの量とか、子どもたちが自分で言えないところをフォローして記入して、毎日、保育園に伝えるもの。保育士さんはそれを読み込み、それぞれの状況を把握し、その日になにをしたかを記して打ち返すことになる。
ただの連絡手段ではない。子どもを育て、見守るという同じ目的を持つ、保護者と保育士さんとの信頼関係を育み、心の交流が生まれる場所でもある。
「連絡帳って、子供の成長過程のつぶさな記録なんです」と森脇潤一さんは語る。リクルートマーケティングパートナーズ勤務、所属は事業開発グループという、会社員である。
「そんな貴重な情報を"連絡帳"というモノに依存させていると、そこに閉ざされて完結してしまう。デジタル情報に開放したら情報が輝きを増す。みんなに届くし、保育士さんの業務負荷も下がって、みんなハッピーになるんじゃないかと思ったんです。」
それが「kidsly」。保育園の連絡帳や、子どもたちの毎日の登園・降園をICTによって管理し家庭と園とでコミュニケーションを行う仕組みである。
スマートフォンを使って、家庭からは子どもの毎朝の状態を素早く連絡できるし、保育士さんからのスタンプや写真入りのレスも届く。子どもを保育園に送ってから、通勤途中でも連絡帳を提出することができるのである。
ログは毎日残っていくし、保護者は最大4人まで登録できるから、お父さんはもちろん、離れて暮らすおじいちゃん・おばあちゃんも孫の毎日の様子をつぶさに知ることができる。
こんなふうに説明していても、誰もが幸せになれるようなポイントしか見えない。できてしまえば「あって当たり前」としか思えないサービスなのだ。森脇さんは「よく言われます」なんて笑っているけれど、ローンチしたのは、実は2016年の3月。
「kidsly」がこの世に生み出されるには、森脇さんの10年以上の社会人としての経験が必要だった。
機会格差をなくす世の中を目指すため退職
森脇さんがキャリアをスタートさせたのは広告代理店。仕事の内容は、原則的に、どこかの会社のつくったサービスや商品を世に広めていくというもの。それはそうだ。だって広告代理店、なんだもの。でもそこに、少なからず葛藤もあったという。手掛けるものの中には、100%全力で世間にオススメしたいとは思えないものもあった。クチコミサイトなどで悪し様に罵られているのを見つけて、腹立たしい思いをすることもあった。その書き込みが言いがかりならばまだしも、真理をついていた時ほどどうしようもなかった。改善点は分かっていても、自分たちではどうしようもないから。
「それで、どんどん"自分でなにかやってみたい"という思いが募っていったんです。方向としては、なんとなく"社会貢献したい""若者たちの格差をなくすことの手助けをしたい"というのがありました」
話を聞いてみると、ぼんやりではなく、割と明確にあった。
森脇さんの出身は岡山県。地方公務員の父と保育士の母というごく普通の一般家庭の長男。高校1年の時の先生が「岡山だけで人生終えんな!」と、とにかく東京行きを勧めるアツい人で、気付いたら本気の上京モードになっていた。ひとつ問題なのは岡山県には国立岡山大学という水準の高い国立大学がある。森脇さんをはじめ、志ある岡山の若者の大半は、東京の大学を目指す学力はあるものの、金銭的な面から岡大を目指すケースが多かったという。
「もちろん悪いとは言いません。東京みたいに選択肢がたくさんある中から決めるならいいんです。"そこしかない"という状況でそこに行くのとは意味が違うんですよね」
森脇さん自身は東京の大学に進み、奨学金とバイトを組み合わせて乗り切った。でも、うまく東京へ漕ぎ出せない郷里の後輩たちへの思いが常にあった。
「そんなときに格安のオンライン予備校サービス『受験サプリ』(現・スタディサプリ)に触れる機会があったんです。ここにビジネスを通して教育の機会格差をなくしていこう、っていう崇高なビジョンを見たんですね。このサービスを、リクルートマーケティングパートナーズの山口文洋がつくったということで、ここなら自分の理念を実践できるかもと思って転職したんです」
岡山県生まれ。新聞社の報道局のアルバイトと奨学金で、学費・生活費などすべてを自力で捻出。自身、地域格差による教育機会の不平等さを身をもって経験しているため、若者たちに注ぐ視線は優しい。大学卒業後、広告代理店に入社。営業職を担当。34歳の時、リクルートマーケティングパートナーズ(RMP)に入社。現社長・山口文洋氏のもとで働きたかったため、「職種は問わずとにかくRMPに入りたい」と希望したそう。経済産業省主催「グローバル起業家等育成プログラム2016」メンバー
リクルートマーケティングパートナーズには、「New RING」という新規事業提案制度がある。1981年から始まり、リクルートグループ会社の社員なら誰でも参加できる仕組みで、「受験サプリ」はもとより、「ゼクシィ」「ホットペッパー」「R25」などもここから生まれてきた。
森脇さんは、そもそもこの「New RING」を目指して転職してきた。2013年、34歳の時。全社的に起業・独立のマインドが高いといわれるリクルートでは、むしろ「会社を辞める年齢」に近かった。
折しも「New RING」が各リクルートグループ会社ごとで開催されるようになり「NewRING byRMP」へとリニューアルされたのが、森脇さん入社の翌年。この制度の流れを簡単に説明すると、
- ①企画書ベースの締め切りが8月の中旬。9月に一次審査の結果発表があり、
- ②そこから予算が下りてメンバーを集め、年内3カ月かけてビジネスプランを磨く。
- ③翌年1月に経営陣にプレゼンテーション。
- ④承認を得たら4月に組織化され、あとはローンチを目指す。
2013年11月に入社した森脇さんは、しかし、「New RING」構想を練るわけでもなく、とにかく3カ月間は配属された部署で仕事に没頭した。
「翌年、絶対自分の企画を通したいと思っていたので、まず社内での成果を出したかったんです。どこの馬の骨か分からないヤツに事業は任せたくないだろうから、1〜3月クォーターのMVPをとにかく獲ろうと。"森脇ってヤツは仕事ができるぞ"と、認められた上で企画を提出したかったんです。この時期は、たぶん人生でいちばん働いたかもしれない(笑)」
さて、結果はMVPを獲得。入社初年度の最初のクォーターでMVPを獲得するのは、非常に稀なケースなのだという。しかも、このタイミングで山口さんが森脇さんの直属の上司になるというミラクル。
知人の不幸を経て、気づいたこと
その後、森脇さんの「kidsly」は「New RING」でグランプリを獲得する。ただMVPのあと、いかにして「kidsly」が生まれるに至ったか。それには悲しいエピソードをひとつ紹介しなくてはならない。森脇さんの知人の死である。
「2014年の5月のことです。彼女が重い病気であることは、その2年ほど前から聞いていました。人生を精いっぱい全うしようという姿勢から学ぶことはたくさんあると思っていましたが、同世代の友達がどんどん衰弱していくのがショックでした。それで彼女が亡くなった時に、あるノートが出てきたと旦那さんから知らされたんです。すごく細かく記されたお子さんの記録でした。電話でしゃべったんですけど、旦那さん、泣きながら言ったんです。"後悔してる"って。彼も仕事の忙しい人で、十分に家庭を顧みることができていなかったと。そのノートを見たら、どれだけ奥さんがお子さんに愛情を注いでいたかがすごく伝わってきたそうで、"彼女が生きているうちにこのノートの存在を知っていたら、少しでも早く家に帰るとか、少しでも家事を分担するとか。もっともっと自分にやれたことがあったかもしれない"って」
どこの家庭にも同じような課題はあるのではないか。森脇さんはそう思ったと言う。家庭という小さな共同体なのに、お父さんは子どもの日常をよく知らない。子育てへの思いを夫婦で共有できていない。そして、当たり前のこととして生活しているから、それに特別な価値があることに気づいていないのではないか、と。
「だからなんとかしたい、と思ったんです。最初は家族でのそうした問題のソリューションとして、家族SNSみたいなものを想像しました。子どもとの1日の出来事をママからパパに送る・・・・・・みたいなことを考えてみたんですけど、忙しい中での新たな余計な負荷になるだろうから、現実的ではない。誰の手も煩わせずに、子どもの情報を両親と共有する手立てはないかと」
それが保育園の連絡帳だったのだ。ちなみに、森脇さんに子どもはいない。で、周囲のママたちからヒアリングし、構想を語り、賛同を得て、連絡帳をかき集めてアイデアをブラッシュアップ。2014年8月に提出した企画書には、今のサービスのほぼすべてが書かれていたという。ただ一点を除いて。
「実はITを導入することに関して、保育士さんがネガティブに捉えることが多かったんです」
250以上の保育園に行って分かったこと
同時にヒアリングした保育園から「手書きではなくなる」ということを問題視されたのだ。
「多分に情緒的な問題なんです。手書きの文化は変えられないという意見が本当に多くて。最初起案した資料では、保育士さんの手書き連絡帳をスキャンして親に送るというふうにしていました。OCR(光学式文字読み取り技術)とか、ショットノート(手書きのメモを専用アプリで撮影し、書いたままデジタル化できるキングジムのノート)の仕組みを使ってなんとか生かそうとしていて、当時は協業先として、そこも模索していました」
ビジネスプランを磨く段階で、森脇さんは毎週山口さんから、プランの進め方について30分間相談する機会を持ってもらっていた。この時には、企画段階よりもはるかに多くの保育園を回るのだが、手書きの文化が乗り越えられないということがますます明らかになってきていた。頭を抱える森脇さんに山口さんは言ったという。
「でもそれって、イノベーションじゃないよな。プロダクトとしてイケてない気がする」
で、森脇さん、韓国に飛んだ。
「実は韓国の保育園ではすでに連絡帳のデジタル化が進んでいたんです。実際に使われている世界を見ることで、子供たちの成長過程の情報をデジタルに置き換える意味と、保育士さんの業務負荷がいかに軽減できるかを実感できました。このサービスを導入後の変化に関しても、自分の言葉でロジカルに語れるようになったんです」
そして今年3月にローンチ。保育園への営業はすごくスムーズに進行し、鎌倉女子大学との共同プロジェクトもスタート。サービスローンチからわずか3か月で100園に導入が決定した。経済産業省と内閣府が主催するキッズデザイン賞の審査員長特別賞も受賞した。森脇さん自身も今、取材対象として引っ張りだこである。
「『kidsly』の"保育園の事務作業と連絡帳をICTで便利にし、情報共有できるようになった"という価値は表層的なものでしかありません。実はもっと深い部分での本質的価値があります。保育園に子どもを預けるお母さんは不安です。それを払拭するには、お子さんが毎日楽しい環境にあって成長していることを実感すること。一方、保育士さんは、お母さんに対して保育園での日常をきちんと伝えていくことができれば、お母さんからの信頼と感謝が得られ、自身の仕事へのモチベーションが上がる。自分たちの仕事がいかに多くの人に幸せを届けているかを承認してもらえる。『kidsly』はこうしたサイクルを生み出すところに本質的な価値があるんだと、みんなで確認し合っています」
組織化からのローンチまでの約1年間、250以上の保育園を見て、声を聞いてきた森脇さんは「日本全国、都市でも地方でも、保育園で行われている営みは変わらないと実感している」と言う。
「『kidsly』はあくまで、保育士さんとお母さんのコミュニケーションを深めるための手段なんですよ。それを啓発していきたい。実際導入していただくと、保育士さんとお母さんのコミュニケーションが深まるし、お互いに仲良くなれた、なんて声をよく聞きます。それから、お子さんとお父さんの関係が変わった・・・・・・って。"最近どうなの?"じゃなくて、"お遊戯みたよ、上手くいってる?"って声をかけられるのって、大きいと思いません?」
文:武田篤典
撮影:有坂政晴(STUH)