2016/07/20

【ITプチ長者への道】鉄ヲタの愛は国境を越える! 前編「全世界で8,000万円を売り上げたスマホ用鉄道シミュレーターゲーム」

スマホアプリやLINEスタンプ、イラスト、写真など、ネットを利用して密かにヒットを飛ばした"知られざるヒーロー"を紹介する「ITプチ長者への道」。第3回は、個人制作のアプリでありながら全世界でヒットしているiOS向け電車運転シミュレーター『Train Drive ATS』シリーズの作者、Takahiro Ito氏に話を聞いた。

少年時代から育まれた「ダイヤグラム」愛が産んだ世界的ヒット作

その驚異的な緻密さが世界から称賛される日本の鉄道。その核ともいえる「運行システム」をマニアックに再現したのが、2012年に第1弾がリリースされたTakahiro Ito氏の『Train Drive ATS』シリーズである。

『Train Drive ATS』(iOSアプリ/ライト版 無料、フルバージョン 840円)の操作画面。東武鉄道とライセンス契約を結び、実際の車両が使われているが、駅や路線はItoさんが生み出した架空のものだ

「1990年代にアーケードゲームとして大ヒットした『電車でGO』(タイトー)など、国内では鉄道運転シミュレーターはいくつも発売されています。私の『Train Drive ATS』もそのなかのひとつですが、従来の作品以上に "リアルさ"を追求しているのが大きな特徴です。タイトルにもあるように、現実の鉄道に導入されているATS(衝突や速度超過防止のための保安装置)の要素が加味されているほか、加減速度や勾配の抵抗などは綿密な物理計算を行い、線路や信号も、日本の鉄道の省令を順守して設計しています」

なかでも、Ito氏が特にこだわったのが「ダイヤグラム」。乗客が目にする時刻表の基となる列車の運行計画だ。

「運転士の視野(ゲームの画面)には存在しなくても、実際の路線上には複数の列車が走っているわけですよね。それを考慮しないと、通過待ちや追い越し、信号待ちといったイベントをリアルに再現することはできません。そのために必要なのがダイヤグラム。緻密なダイヤグラムの概念を導入したゲームは、『Train Drive ATS』がパイオニアだと思います」

左はItoさんの私物。右にあるのは、『Train Drive ATS』を制作するために考案したオリジナルのダイヤグラム

鉄道ファンならずとも、蜘蛛の巣のように繊細で複雑な鉄道のダイヤグラム(写真)を一度くらいは目にしたことがあるはず。Ito氏によれば、これこそが世界に誇る「日本の鉄道」の本質。この概念を導入したことで、『Train Drive ATS』は「日本の鉄道」を本当の意味で再現したゲームになったのだという。

「私は少年時代からの鉄道ファンなんですが、そのなかでも特に興味を持っているのがダイヤグラム。いわゆる『架鉄』というジャンルで、架空の鉄道について考えたり、現行路線のダイヤグラムの改善策を考えたりするのが好きなんですよ。そうした"趣味"があったからこそ、このゲームをつくることができたのだと思います」

好きなコトだからこそ、"自分のブラック化"にも耐えられた

趣味から生まれたものとはいえ、Ito氏には最初から「『Train Drive ATS』シリーズで生活できるだけの収益を上げる」という明確な目標があったという。そのために、ほかの仕事を完全に辞めてアプリ制作に挑んだというのだから、その覚悟は相当なものだ。

制作者のTakahiro Itoさんは、小学生の頃から鉄道ファン。このアプリをつくり始める前は、フリーランスのプログラマーとして生計を立てていた

「アプリ開発にそれなりの時間がかかることは経験上知っていましたから、本業の片手間に作業するといったやり方は最初から考えていませんでした。ただ、当初の見積もりよりだいぶ制作期間が延びてしまって、第1弾をリリースできたのは2年半後......。そのあいだは貯金を切り崩すしかなかったので、遊びに行く回数を減らすなど生活費を切り詰めてやりくりしました」

最初は半年ほどで完成すると見込んでいたそうだが、結果的にはその5倍の期間が必要だったわけだ。細部にこだわったことも一因だが、もっとも時間がかかったのは「デバッグ」(バグチェック)の作業だった。

「たとえば、いつまでも停止信号が解除されないという不具合が出たとするじゃないですか。その原因を突き止めるには、目視できる部分だけではなく、ダイヤグラム上で運行されているすべての列車の状況をチェックしないといけないんですよね。これに思いのほか時間を取られて、制作期間の半分をバグ取りに費やしてしまいました

ダイヤグラムをリアルに再現しているアプリならではの苦労。不具合を見つけては原因を探るという作業を、1年以上にわたってひとりでコツコツ続けたのだ。いちばん大変だった時期は、文字どおり起きた瞬間から寝落ちするまでPCに向かっていたという。

「これは、さすがにダイヤグラムが好きな人でないと気持ちが折れてしまう作業だったんじゃないでしょうか。でも、私の場合は最初から『好きなことをするんだから、請負仕事に対してコストを半分で計算できるな』と考えたんですね。自分の趣味の領域だから、労力や苦痛を半分くらいに見積もってもいいだろう、と。いわば『自分のブラック化』(笑)。それでも耐えられるのが、『好きなコトで稼ぐ』ことの強みなのかもしれませんね」

個人制作のアプリが、8,000万円超の売り上げを記録!?

最終的には、自らのダイヤグラム読解のノウハウをプログラム化し、専用のチェックツールを作ったというItoさん。このツールには、予想外の引き合いがあったそうだ。

「実は、現実の鉄道会社でもダイヤグラムのチェックは、知識や経験のある職員の方がほぼ手作業で行っているようなんですよね。そのため、私がつくったバグを見つけるためのプログラムを、実際の路線の運行チェックに使えないかと興味を持っていただいた鉄道会社さんもいたりして(笑)」

思わぬところから飛び出した技術転用の可能性。趣味で始めたものが現実の役に立つかもしれないとは、実に夢のある話ではないか。

こちらは、京王電鉄の車両を使った第2弾『Train Drive ATS 2』(iOSアプリ/ライト版 無料、フルバージョン 840円)。複数の鉄道ファンが制作に加わり、アナウンスなど細部が洗練された

核となる要素をほぼ個人の力で完成させた第1弾を経て、第2弾の『Train Drive ATS 2』は、車内アナウンスを担当する声優や、路線を考案する鉄道ファンたち、外国語版の翻訳者など、多数のスタッフとの共同で行われた。この2作を合わせたシリーズ全体の売り上げは、累計で8,000万円以上にも上るという。さらに、現在日本のとある鉄道会社から、車両はもちろん路線までを忠実に再現した完全コラボの新作制作を打診され、実現の方向に動いているとのこと。

ひとりの鉄道ファンがつくったゲームが、なぜここまでの広がりを見せることになったのだろうか。次回の後編では、『Train Drive ATS』シリーズが世界的な大ヒットアプリとなった理由を掘り下げてみよう。

「TrainDriveATS2 Demonstration Movie 01」(TrainDriveATS 公式chより)

<後編はこちら>

取材・文:石井敏郎