2016/06/14
| 更新
2018/05/25
【おもいでタイムライン】第9回:1988〜1985年、 “予感”の時代
日本で初めての携帯電話「ショルダーホン」が発売されてから、約30年が過ぎました。そして携帯の進化と同時に、私たちのコミュニケーションも大きく変化してきました。携帯電話の歴史は、コミュニケーションの変遷の歴史でもあるんです。
では、一体どんなふうに変化してきたのでしょう?
最終回は1988~1985年。肩からぶら下げるあの電話が登場しますよ。
携帯電話は、クルマから持ち出せる「自動車電話」だった
IDO(当時)が1988年12月に提供開始したのが「ショルダーフォン」です。ライトグレーのボディに、ディスプレイ部分を縁取ったブルーと、ボタンのオレンジが絶妙なアクセントになっています。スモーキーな色目が採用されているので、全体的なイメージも上品。いまとなっては「レトロフューチャー」な魅力たっぷりなデザインといえますが、当時は誰もがこの最先端機器に未来を感じていたものです。
「ショルダーフォン」(1988年発売)
→このケータイの「auケータイ図鑑」ページへ
この時代の携帯電話・スマホは?
「カーフォン40形10形」(1988年発売)
→このケータイの「auケータイ図鑑」ページへ
この端末と同時に発表されたのが、「カーフォン40形10形」。まさにその名のとおり、こちらは自動車電話。ショルダーフォンと連携したイメージでデザインされています……というより、受話器部分は同じ!? ……そう、携帯電話の前にまず自動車電話ありき。クルマだったら、送受信に使うための大きなアンテナも搭載できるし、電源もクルマ用のバッテリーから確保できます。
この「クルマの中から持ち出したい!」という発想が、携帯電話へとつながっていきます。といっても、やっぱり「自動車電話の延長」。自動車電話ユーザーへの一歩進んだサービスが、とっかかりだったのです。KDDIの前身となる企業のひとつ、IDOは87年に日本高速通信、トヨタ自動車、東京電力、中部電力などを中心に設立されるわけです。
ついにショルダーホン誕生。
NTTから発売された車外兼用型自動車電話「ショルダーホン100型」(1985年)
日本初のショルダーホンは、85年に誕生します。長~いアンテナを搭載し、サイズは百科事典を横向けに立てたぐらい。重量は2.6㎏もありました。なぜショルダーからさげなければならないほど大きかったのか。ご存じかもしれませんが、ひとえにそれはバッテリーのせいです。
クルマの中にいた時はシガーソケット経由でクルマのバッテリーから電源が得られました。そこから自由になるためには自前のバッテリーが必要だったのです。だからあの百科事典部分の中身はほぼ、バッテリー。日本初のショルダーホンは、連続通話時間約40分、連続待受時間約8時間だったようです。
当時の自動車電話は、数十万円の保証金に、月々何万円もの基本料金を支払い、通話料は6秒10円。初期は携帯電話単体ではなく、自動車電話としての契約をベースにショルダーホン化できるというオプションがありました。当時を知る人たちにとっては当然ですが、その昔、携帯電話を持っていたのは会社経営者など一部のエグゼクティブ、工事現場などで仕事上、どうしても必要だった人たちぐらいで、誰もが「どこにいてもコミュニケーションできる」というわけにはいきませんでした。待ち合わせする時は、依然、日時、場所の指定は必須。「近くまで行ったら電話するわ」なんてアバウトな約束が通用するようになるのは、もうちょっとあとの時代の話。
携帯電話は、バブル期のアイコンに。
IDOの自動車電話、携帯電話のカタログ(1990年)。外出先のどこでもコミュニケーションを可能にする、憧れの通信手段=携帯電話の予感を感じさせる内容だ
携帯電話単体としてのサービスが始まるのは、87年4月のこと。「ショルダーじゃない」携帯電話機が提供され始めます。それが「辞書型」と呼ばれる端末。まさにその名のとおり、小ぶりの国語辞典を片手で持って通話しているような状態で、落とさないように、手を差し込むタイプのストラップが装備されていました。
ショルダーホンの誕生からたった2年。日本はにバブル経済の真っただ中にいました。ますますの好景気の予感に、次々と世界の不動産を買い占め、イケイケ化著しい時代、夜の街を闊歩するダブルブレストのソフトスーツなヤンエグたちに、肩パッドを強調したボディ・コンシャスなスーツのOLたち。
夜遊びスポットでも、グルメでも、ファッションでも……とにかく新しいものを見つけては飛びつき、仲間に自慢することに価値があった時代に、携帯電話というサービスはマッチしたのかもしれませんね。
持ってることがおしゃれで、持てるだけの経済的な背景があることの証拠。つまり一種のブランド。
携帯電話は、とても画期的なコミュニケーション手段の発明でした。でも、誕生した当初から、その枠を超えて、カルチャーの一種として受け止められていたようです。
文:T&S編集部
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