2016/06/06
キンギョもいろいろ考えている
たぶんキンギョにも感情体験がある。それを意識的に経験してはいないだろうけれど......。
いずれ心を理解できるときがくる。
感じ・考える
キンギョにも個性がある。ランチュウとかの品種のことではない。確かに、キンギョは皆同じに見える。ひらひらと泳ぎ回り、ときおり水底をつついている。しかしそれを言ったら、キンギョから見た人間も似たようなものだ。水槽をのぞきこむ、小突く、ただ通過ぎる。
よく見ていると、キンギョの行動には個体ごとに一貫した傾向がある。すなわち個性を持っている。種としてある範囲に収まるとしても、1尾ずつ、極めて個魚的な内面を持っているようだ。
キンギョの行動は、反射の連鎖だけで成り立っているわけではない。経験によって行動が変化する。しかし単なる学習機械でもない。感じ、考えている。あしき擬人化だという批判も受ける。しかし、利得と損失の計算則のみで動物の行動を説明したとして、豊かな生命世界の理解に到達できるのだろうか。
本能行動や学習の積み重ねだけでは対応しきれない状況も多々ある。
学習した行動や生まれ持った行動の呼び出しにはゆらぎがある。ゆらぎが良い方向に振れれば、事態をうまく切り抜けられる。そこに感情の機能を加えれば、行動が一貫性を持ち、生存力を高める。
不利になることもある。感じ、考え、実行するとき、キンギョなりの主観的世界が確かにあるだろう。
恐怖の脳内表現
わたしは恐怖の仕組みを研究している。恐怖を体験しているとき、特定の身体反応が現れる。人が恐怖を感じるような状況にキンギョをおく。するとキンギョは、人間と同等の身体反応を示す。彼らの小さな脳の中にも、人間と同様の恐怖の表象とでもいうべきものが作られているのだろう。脳の基本構造は共通なのだから。
今、自分は恐怖を感じているんだというメタ認知的な部分は、我々の肥大化した大脳皮質で作られるとしても、恐怖体験そのものはキンギョにもあって不思議ではない。
客観的、つまり証拠を共有できるように説明したい。だからキンギョの恐怖反応を数値化し、脳活動を記録し、薬物の効果を調べる。飼育にも気をつかう。快適な生活を提供しないと、恐怖の反応は引き出せない。
心を理解できるか
人と人との間であれば、他人の行動の裏にある感情はなんとなく分かる。この「分かる」というのがくせものだ。脳内のネットワークの動作や化学物質の分泌状態の変化で説明されても、それは他人の気持ちが分かるという感覚には合致しない。相手の主観を自分の主観で再現して、それを経験しているのである。それは必ずしも相手の主観のコピーではなく、あくまでもこちらの主観による再現である。誤解が生まれる大きな余地ありだ。
人以外の動物に対しては、その主観を人間の主観で再現することは難しい。またそのように努力しても、必ずしもその動物の心の理解には近づけない。どうするか。
ある状況下で動物の脳の中で起きていることを明らかにする。これを人間と比較して、動物が感じ、考えていることを合理的に説明していく。他人の気持ちが「分かる」ようにはいかなくとも、キンギョの心の理解に近づくことができるはずだ。
執筆:吉田将之
絵:大坪紀久子
上記は、Nextcom No.26の「情報伝達・解体新書 彼らの流儀はどうなっている?」からの抜粋です。
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Masayuki Yoshida
広島大学 大学院 生物圏科学研究科 准教授
1965年生まれ。鹿児島大学卒業、広島大学で博士号取得。
英国ブリストル大学研究員などを経て現職。専門はバイオサイコロジー。
動物の脳が“気持ち”や“感じ”をつくりだす仕組みの解明に取り組んでいる。