2022/02/04
昭和基地の通信を守る南極観測隊の日々の暮らしとは?隊員が現地からレポート!
日本から14,000km離れた「南極」に赴任中のKDDI社員による現地レポート。彼の南極でのミッションは「昭和基地の通信環境を守る」こと。現地での生活の様子をお届けします。
TIME&SPACE読者のみなさん、こんにちは!KDDIから国立極地研究所に出向し、第62次南極地域観測隊の一員として南極・昭和基地に来ている阿部公樹と申します。前回の仕事編に続き、今回は昭和基地での日々の暮らしをご紹介します。
南極・昭和基地での生活環境とは?
私は約4カ月半にわたる日本国内での訓練や研修を経て、2020年11月に日本を経ち、同年12月に南極へやってきました。2021年1月19日には南極観測船「しらせ」が昭和基地を離岸し、私たち第62次越冬隊31人の生活がはじまりました。
越冬隊の私たちは「居住棟」と呼ばれる建物に住んでいます。ひとり1部屋のプライベートな空間です。1畳半ほどの個室には机、ロッカー、棚、ベッドが備え付けられており、四角い小窓がひとつあります。ただ、建物の多くの窓は開閉できません。ブリザードのときはわずかな隙間からでも雪が吹き込んでしまうからです。
隊員が生活するエリアは室温が17度ぐらいになるように暖房が入っていて、Tシャツと短パンで過ごす隊員もいます。
お風呂と洗濯機は24時間いつでも利用可能です。洗濯物を自室に干しておくと、たいていのものはひと晩で乾きます。
「発電棟」と呼ばれる建物には常用の発電機が2基あり、規定の運転時間ごとに交互運転しています。万が一に備え、非常用発電機もあります。隊員たちは自由に電気製品を使うことはできますが、節電を心がけています。
温かくて美味しい食事に身も心もほっこり
食事は2名のシェフが交代で料理を提供してくれます。朝食は、ご飯、パン、各種のおかず、みそ汁、ヨーグルトなどから各自が食べたいものを自由にいただきます。
昼食と夕食はバラエティに富んでいて、ボリュームも満点。厨房でつくられた料理はいったん温蔵庫や冷蔵庫に入れられ、食事の直前に食卓に出されます。
寒い屋外の仕事から戻ったあと、温かくて美味しい食事をいただけるのはとても幸せです。心までほっこりと温まります。
休日は思い思いの過ごし方でリフレッシュ
南極には夏と冬しかないと言ってよいかもしれません。夏と冬では日照時間が極端に異なるため、日課の時間割を変えています。現在、2022年1月は「夏日課」ですが、2021年4月から8月は「冬日課」だったので、その頃は、始業が1時間遅く、そのおかげで朝ゆっくりできました。また、夏は週に1日、冬は週に2日の休日をもらえます。
休みの日は、天気がよければ数人のグループで昭和基地周辺を散策するのが楽しいです。私は昭和基地のある東オングル島の観光名所ともいわれる「胎内岩」という大岩を見に行ったりしました。
南極の空気は東京の1,000倍から10,000倍もきれいだとか。散策するときは肺の中の空気を全部入れ替えるぐらいのつもりで、精一杯の深呼吸をしながら歩いています。
天気が悪くて外に出られない日は、漫画を読む人、PCでゲームをする人、絵を描く人、ただ寝ている人など、いろいろです。行事や作業がない限り、各自好きなことをしています。私は趣味であるギターを弾いて過ごしています。隊員たちのあいだではウクレレを弾く人が多いです。
昭和基地では隊員の生活に楽しみや潤いを与えるため、「新聞係」「アルバム係」「イベント・スポーツ係」「バー係」「喫茶・スイーツ係」「理髪係」など、10種類の係があります。隊員は自ら希望する係に任意で所属して活動します。
私は「イベント・スポーツ係」に所属しています。これまで特に楽しかったのは「タグラグビー」というスポーツをやったことです。3チームに分かれて戦い、雪の上で走り回りました。
「管理棟」と呼ばれる建物の2階にはバーのスペースがあり、週に2晩、「バー係」の隊員がマスターを務めます。お酒好きの隊員がよく集まって親睦を深めています。
「発電棟」の2階には理髪室があります。
国内で理髪の講習を受けた「理髪係」が、ほかの隊員の髪をカットします。なかには、髪を染める人や、あえて伸ばし続けている人も。
日本でいう夏至の頃になると、昭和基地での最大の行事である「ミッドウィンター・フェスティバル(MWF)」がはじまります。4日間の休日を設けて、私たちはスポーツ大会やクイズ大会をしたり模擬店を出したりして大いに楽しみました。この期間の食事はフルコースになり、ごちそうを存分に堪能することができました。
さらに、映画づくりにも挑戦しました。昭和基地を舞台にした作品が1本と、「2021冬季国際南極映画祭(2021WIFFA)」への応募作品が1本です。どちらの作品も越冬隊員が協力して作り上げたので、基地内で上映し、みんなで自画自賛しました(笑)。
七夕の時期にはひと晩限りの「雪洞バー」を開店しました。
山のように積もった雪の壁に横穴を掘って雪洞にし、そのなかでお酒や温かい鍋をいただくのは格別でした。七夕飾りもつくって短冊に願い事を書き、笹に吊るしました。
オーロラ、ペンギン……南極ならではの光景に感動
4月から8月までは冬日課になります。南極の冬は日が短く、5月末から7月中旬まで1カ月半ほどは、太陽が沈んだ状態が続く「極夜(きょくや)」です。
そんな冬の夜の楽しみはオーロラ観察です。オーロラ予報を毎日チェックし、真夜中に外に出て暗闇の中で写真を撮ります。寒ければ寒いほど、空気が澄んでオーロラや星空が美しく見えます。
日本から持参してよかったと思うものは、やはりカメラです。国内で出発準備をしていたとき、KDDI社内の越冬隊の先輩から「オーロラを撮れる貴重な機会だから」とフルサイズ一眼を強く勧められました。フルサイズというのは撮像素子が大きい規格で、ボケの量が大きく高画質なのです。でも、レンズが高価すぎるためフルサイズ一眼はあきらめて、私はAPS-C規格のカメラを購入しました。
比較的画質がよく、軽量なタイプです。標準ズームレンズを着けたままでも羽毛服のポケットに入る大きさだったため、持ち歩いても苦にならず、重宝しました。
ただ、マイナス30度のときにきれいなオーロラが出たので撮影しようと意気込んだところ、うっかりレンズに息を吹きかけてしまって……。レンズの表面で息が凍って撮影できなくなるという失敗を経験したことも。
隊員たちが撮ったオーロラの動画などは、国立極地研究所と連携協定を結んでいる科学館や、隊員にゆかりのある小・中・高校とをオンライン中継で結び、「南極中継」や「南極教室」というイベントを開催し、子どもたちに紹介します。かなり頻繁に開催するので忙しいですが、すごく喜んでもらえて励みになります。
9月になると日照時間がだいぶ長くなり、朝が早い夏日課に切り替わります。いよいよ、海峡の向こうに広がる南極大陸や点在する島々に雪上車で野外観測に行くのですが、その前に、海氷上に目的地までの安全なルートを設定する作業があります。
私はその作業に参加したときに初めて南極大陸に上陸しました(南極大陸は昭和基地のある東オングル島から4kmほど離れています)。念願が叶って非常にうれしかったです。
海氷は表面がつるつるして滑りやすく、慎重に歩行しなくてはなりません。氷上歩行訓練のために近くの小さな氷山に出かけたときに、氷の斜面に溝を掘って「流しそうめん」をやりました。毎年恒例になるほど昭和基地では人気の高い行事です。
海氷上に滑走路を造る作業も毎年行われます。南極大陸にある各国の基地間を運航する飛行機がそこに着陸したのですが、今回は新型ウイルス感染対策のため乗員・乗客に近づけなかったのが残念でした。
11月の初めから本格除雪作業がはじまります。数メートル積もった雪や氷の層を取り除き、地面を出してトラックやクレーンが走れるようにするのです。基地の主要な道路を復旧させるのに1カ月以上かかりました。
11月20日からは、太陽がひと晩中沈まない「白夜(びゃくや)」となっています。空が暗くならないためオーロラも星空も見られないのですが、その代わりに海岸や島々でペンギンやアザラシがよく見られます。私もペンギンの営巣地を調査しに行きました。
また、アザラシの赤ちゃんは遠くから見ても可愛らしく、ある隊員が「1日中ずっと見ていられる」と言うぐらい人気があります。
夏期間は日が長く、夕食のあとに出かけることもできます。しかし、夜でも紫外線が強いため、日焼け止めが欠かせません。塗らない人は顔が真っ黒になります。
離れていても想いが届く「通信のチカラ」を実感
南極での生活も残りわずか。2022年2月1日、私たち第62次越冬隊から第63次越冬隊へと昭和基地の運営を引き継ぐ「越冬交代式」が行われます。いよいよ帰国の荷物をまとめる時期になりました。持ち帰ってもよいものはルールとして決まっていて、日本から持ち込んだものと、氷と、思い出だけです。「私が持ち帰る思い出はなんだろう?」とふと考えました。
浮かんでくるのは「南極教室」などのオンラインイベントのときに見た、日本各地の子どもたちの元気な様子でした。もちろん、一人ひとりの顔を覚えているわけではありませんが、うれしそうな子もいれば、張り切りすぎて緊張している子、恥ずかしそうにしていたりする子もいました。ネットワークを通じて、14,000km離れた日本から生き生きとした表情や歓声が伝わってきました。各学校から電子メールで送られてきた子どもたちの手書きのお礼状は、慣れない手紙形式に苦心しながら書いてくれた様子が窺え、気持ちがこもったメッセージがたくさんありました。どんなに遠いところにいても想いを届けられる「通信のチカラ」をあらためて実感しました。
昭和基地の通信環境を守り切り、第63次隊へ無事に引き渡したら、私は日本の子どもたちの笑顔を思い出にして帰国の途に就きます。そして、また次の挑戦をはじめたいと思います。
文:阿部公樹
写真提供・掲載協力:国立極地研究所
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