2020/08/28
【au20周年】どこでも高品質でつながる! auのエリア対策と通信品質の挑戦
2020年7月、auは20周年を迎えた。同じく2020年に5G(第5世代移動通信システム)のサービスの提供がはじまった。NTTが携帯電話サービスをはじめた1987年を1Gとすると、これまでに4度の世代交代があり、より広い範囲で高品質な通信が行えるようになってきた。
では、通信エリアの拡充と通信品質の改善を軸に、auの20年を振り返ってみよう。
通信規格の進化と通信エリアの広がり
まずは1Gから5Gまでにauが提供してきた通信サービスを紹介。下の表は、携帯電話ネットワークの世代と通信規格/通信サービスを簡単にまとめたものだ。
DDI、KDD、IDO、セルラーグループ7社が合併し、2000年に統一ブランドとしてauが誕生した。1998年から各グループで導入されていた通信サービスが「cdmaOne」だ。
このサービスによって、それまで通話中心だった携帯電話でのデータ通信が可能となり、インターネット(EZweb)でニュースや天気予報を見たり、着メロや待受け画像のダウンロードもできるようになった。
ちなみに、2020年現在の4G LTE(800MHz対応機器)のサービスエリアは人口カバー率99%を超えているが、実は2000年1月の時点で、cdmaOneのサービスエリアも人口カバー率98%を達成していた(※)。
※「人口カバー率」とは人が生活している場所での携帯電話が使える割合。国勢調査に用いられる約500m区画において、50%以上の場所で通信可能なエリアを基に算出しています。
数字だけを見ると、20年かけてわずかにエリアが広がっただけのように見えるかもしれないが、10年以上、携帯電話を使用されている人なら、おそらく地下街や通勤ラッシュの電車内、山やキャンプ場など、つながりにくかった場所で、以前よりも快適に通信できるようになったという印象を持っている人が多いのではないだろうか。
au誕生からの20年、携帯電話が「どこでも」「高品質」でつながるために、そしてauのエリア対策と通信品質向上のために、裏側ではどんなことが行われてきたのか? サービスエリアの拡大と通信品質の向上に携わってきた、KDDIの西村朋浩と江口崇に、各時代で印象的だったエピソードを聞いた。
「cdmaOne」の時代・戸別訪問でつながりにくさを解消
2000年当時、西村朋浩は関西セルラーの運用部門(現大阪テクニカルセンター)に所属し、通信の安定を図るためにお客様のお宅に直接出向くことも多かったという。
「サービスエリアマップのオレンジ色に塗られた箇所が、携帯電話がつながるエリアなのですが、エリア内でもご自宅だけ使えない、あるいはこの部屋だけ使えない、というお客様からのお問い合わせが当時は多数ありました」
1995年以降のPHSブームなどを境に、携帯電話はコミュニケーションツールとして若者を中心に人気を集め、この当時、契約者数は右肩上がりに増えていた。au誕生の1年半前、1999年1月には、携帯電話の番号がそれまでの10桁から11桁へと変更されている。
こちらは11桁化を知らせる郵政省(当時)のウェブサイト。11桁化は電話番号逼迫への対策だった。それほど新規契約者数は増加していたのだ。
そしてau誕生の2000年には、PHSを含む移動電話の契約数は6,000万に達し、固定電話を超えることとなった。
携帯電話契約者数の増加に伴い、サービスエリア化されている地域でも問い合わせが増加していた。この当時、西村はそうしたつながりにくいお客様に、その都度個別対応を行っていたという。
「現在は、エリアのデータが社内に集まって解析できるシステムがあるので、事前に各エリアで周波数ごとにどの程度の電波の強さでカバーできているかをチェックし、問題があればおおよその原因と対処法を想定したうえで現地に出向くことができます。現地でも調査を行いますが、専用の機器を設置して電波改善を行うような取り組みをしています。
当時も電波の強度などを知るシミュレーターはありましたが、まだエリア内での通信量などのデータが蓄積されていないこともあり、いまと比べると精度はあまり高くないものでした。そのため、お客様から問い合わせをいただいたら、とにかく現地に出向く。現地で電波を測定して、数値とにらめっこしながら原因を探る。
当時はおもに電波を届きやすくすることで通信の改善を図っていましたが、ときには、エリアに電波を送る基地局のアンテナの向きを変えることまで検討したこともあります。1軒1軒、その場で患部を見つけ出し、まるで絆創膏を当てるように対応していきました」
現在、auでは『電波サポート24』というサービスで、つながりにくいお客様により効果的に電波改善策を提供できるようになっているが、au誕生当時からの、お客様一人ひとりへのこうした細かな対応がデータの蓄積につながっているのだ。
「CDMA 1X WIN」の時代・ 基地局の調整で通信量を増大
2003年ごろから江口崇はセルラーシステムの開発部署に所属し、長らく「基地局のチューニング」という仕事に従事してきた。
「携帯電話がつながるエリアを広げるためには、まずつながらない場所に基地局を建設することが第一ですが、そのあとで必要なのがチューニングです。チューニングとは、そのエリアの特性に合わせて、どの方向に、どの周波数の電波を、どの程度の強さで届けるか、というような数値を調整する仕事です」
ひとつの基地局から発射した電波は対応エリアの利用者みんなで分け合って使うことになる。
「仮に、そのエリアにお客様が一定の人数しか住んでいなくて、通信量もさほど変化しないなら、基地局は建てた状態のままで運用できます。ただ、場所によってエリア内の利用者数は増減しますし、なにより影響が大きかったのは通信量の増加です。
2000年当初はcdmaOneで通話と軽いインターネット程度でしたが、その後、auの提供サービスの多様化、通信サービスの高速化に伴ってさらにお客様の需要も増え、通信量は爆発的に増加しました。それに対応するため、基地局が発射する電波をきちんとお客様に届けるのにチューニングという作業が必要なのです」
当時の携帯電話とサービスの状況について触れておこう。
2002年4月にはじまったのが「CDMA2000 1X」。下り通信速度はそれまでの最大64kbpsから144kbpsと倍増。写真やムービーをメールでやり取りできるようになり、音楽ダウンロードサービスの「EZ着うた」も同年12月にスタート。2003年11月には、さらに新しい通信規格「CDMA 1X WIN」を提供開始。下り通信速度は最大2.4Mbpsへと16倍増となった。
日常をより便利に、楽しくするコンテンツを数多く提供するようになり、人々は通話やメール以外にも携帯電話を利用することが増えた。CD音源の音楽を1曲まるごとダウンロードできる「EZ着うたフル」や、GPS機能を活かしたカーナビのような道案内が可能な「EZナビウォーク」といったサービスもはじまった。
こちらは同じカタログのサービスエリアのページだ。マップのオレンジ色に塗られた部分はauの携帯電話が使えるエリアを示している。
「このころになると、つながるエリアを広げることに加えて、多様なサービスをご利用いただくために、そのエリアに対してどれだけの量の電波を安定的に届けることができるかという、新しい要素が加わっていったんです」
そこでも力を発揮したのが、江口が従事していた「基地局のチューニング」だった。
「利用者数の増加に加え、それぞれの通信量も増大したことで、必然的に電波は足りなくなっていました。新しい基地局を建てれば解決するのですが、それには時間がかかります。そこで私たちは、既存の基地局のどのエリアで、どのくらいの携帯電話がどの程度の通信量を使っているかに応じて最大のパフォーマンスを発揮できるよう、最適化する作業を行っていきました。電波の発信する方向や強弱の設定を見直したり、『ハンドオーバー』の調整を行いました」
ハンドオーバーとは、移動しながら携帯電話を使っていて、ある基地局のエリアから出てしまう場合に、近隣の最適なエリアの基地局へと、電波の切り替えをスムーズに行うこと。
こうした作業を含め、通話の品質を安定させ、電波を効率よく活用することができるよう、江口は基地局の細かい調整を繰り返していったのだという。
3Gから4G LTEへ 回線併用の通信トラブルを回避
auは2010年に初のスマホを発売。この当時の通信サービスは、CDMA 1x EV-DO Rev.Aで、下り速度は最大9.2Mbpsであった。
そして2012年には4G LTEを導入し、ここで一気に従来の通信サービスの約8倍となる、受信時最大75Mbpsの高速データ通信を実現。さらに翌2013年には、受信時最大112.5Mbpsへとスピードアップ。3Gよりも高精細な動画や音楽が楽しめるようになり、携帯電話の主流はスマホへと移行していった。スマホは交通機関のチケットやIDとしても機能するようになり、4G LTEはPCをテザリングでインターネットに接続し、快適に使用できるほどの通信規格だった。
こちらは2010年8月のau総合カタログで、「auケータイラインアップ」と題されたページのなかで、赤い丸をつけた箇所の2台だけがスマホとなっているが……
2012年夏のau総合カタログでは「スマホ続々登場」と書かれており、丸をつけたケータイと取り上げ方が逆転している。
こうした大容量のデータ通信が行われるようになった4G LTEの導入とスマホへの移行期に、KDDIの西村朋浩と江口崇は通信トラブル解消のために同じチームで活動することとなった。
江口が4G LTE導入当時を振り返る。
「通常、新しい通信規格が導入される際には、基地局に新しい通信機器を設置するのが一般的ですが、このときはスタートダッシュにこだわりました。各基地局の機器を入れ替えることなく、ソフトウェアのアップデートだけで新システムが稼働する機能を開発したんです」(江口)
4G LTEの導入はスムーズに行われたが、その後、移動中の通信トラブルに関して問い合わせが届くようになった。
新しい通信サービスの提供がはじまっても、サービスエリア外や非対応の端末でも使用し続けられるように、旧来の通信サービスも並行して提供し続ける。移動中に通信していて新サービスのエリア外に出た場合、ハンドオーバーが行われ、自動的に旧サービスへと切り替わる。その切り替えに関してトラブルが発生したのだ。
「大都市圏の通勤電車でつながりにくいという情報をいただいて、“なにがどんなふうに遅いのか”を確認するために、ラッシュ時の満員電車に江口さんと一緒によく乗りました。当時は通信量を社内でモニターできるようになっていましたが、実際に通勤電車に乗ってお客様と同じ状況で使用し、インターネットにつなぐのに何秒、メールを送るのに何秒かかるかを測って、どのくらいでつながるとイライラしないかの基準を体感から導き出しました」(西村)
「その基準を満たすためにまた、基地局のチューニングを行ったんです。満員電車に乗ってスマホでネットにつないだり、メールを送ったりして秒数を測り、データを取って、会社に戻って、基地局からの電波発射をどのようにすれば快適に使っていただけるのかをチューニング。その成果を試すために、次の日また電車に乗って使ってみて、会社に戻ってチューニング……ということを繰り返しました。いわばフィールドワークです。同様に新幹線での利用状況も確認しました。東海道新幹線で新横浜ー小田原間を10往復してきつかったです(笑)」(江口)
こうした地道な努力が現在の4G LTE人口カバー率99.99%につながり、さらにはこれからの5Gサービスの提供へと続いていく。「お客様には、携帯電話がいつでもどこでもつながるのが当たり前だと思って利用していただきたい」とふたりは口を揃える。
そして時代は5Gへ
2020年からはau 5Gの運用がはじまり、徐々に全国の基地局に、5Gのシステムが導入されつつある。
「現在は全国に5Gの基地局を建設している時期です。4G LTEでは99.99%の人口カバー率を達成していますが、既存の基地局に新しい5Gのシステムを設置するだけでなく、電波特性を考えて新しい基地局を建てていく必要もあります。5Gは電波の帯域の特性上、広範囲に飛びにくいので、しばらくは4G LTEと併用してことになります。現行のサービスを遥かに超える“高速・大容量・多接続”ですが、通信量が多くなり、使う人が増えてくると、もしかしたら、『つながりにくい』と感じるお客様も出てくるかもしれません。そうしたお一人お一人に丁寧に対応していく必要はあると思っています。WINとか4G LTEのときを思い出しながら、きちんと電波をお届けできるように頑張っていきます」(西村)
これらは、これまでの作業の記録だ。都市部のみならず、山間部、離島などなど、日本全国様々な場所で携帯電話が快適に使えるよう、基地局を建設し、機器を調整してきた。こうした作業は、通信規格が進化し、サービスがさらに多様になるかぎり続いてゆく。
「3Gから4G LTEになった時代と違って、5Gに関しては基地局に新しい機械を設置していくかたちになります。私はいま、エリアの拡大や通信品質を向上する部署を離れ、車載型基地局の開発を行っていますが、すでに新たな5G仕様の車載型基地局も公開されました。5Gのサービスエリア拡大はもちろんですが、今後、イベント時などでも5Gによる快適な通信を提供していけるようしていきたいと考えています」(江口)
通信規格の進化を踏まえ、5Gは現行の4G LTEと併用しつつ運用されはじめている。まだエリア化され、サービスが使える場所は限られているが、基地局の建設は急ピッチで進められている。
「大容量・低遅延・多接続」の5G通信が、いつでも、どこでも利用できるようになるために、また、この新しい通信規格の普及とともに、auがどんなワクワクを提供していくことができるのか。21年目を迎えるauにこれからも注目していただきたい。
文:TIME & SPACE編集部
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