2019/01/22
「通信を止めるな」 西日本豪雨のなか光ケーブルを守り抜いたKDDIの184時間
2018年7月に発生した、平成最悪の豪雨災害ともいわれる西日本豪雨(平成30年7月豪雨)。広島県と岡山県をはじめ、西日本を中心に記録的な豪雨が襲い、大規模な河川の氾濫や土砂災害など、甚大な被害をもたらす結果となった。
その豪雨のなか、斜面の崩落や土石流により、KDDIの光ケーブルが切断される危機も発生していた。ケーブルが切断すれば、人々の生活への多大な影響が出る可能性がある。
被害現場近くを走る光ケーブルは、KDDIのさまざまな役割を担う “幹線”ともいえる存在であると同時に、交通情報などにまつわる光回線も収容されているのだ。それだけなく、被災者の方たちに災害情報が届かなくなってしまう。さらには、西日本の経済活動をも止めてしまいかねない。
これは、西日本豪雨によって光ケーブルに被害が発生した7月6日から、仮設復旧に至った7月14日まで、KDDI 技術統括本部 運用本部 運用管理部 広島テクニカルセンター 志和G(日本通信エンジニアリングサービス 広島センター)の、184時間の記録である。
あの日、広島でなにが起きたのか
■100年に一度の異常事態
“100年に1回程度の非常にまれな大雨”と言われるほど、西日本豪雨は各地に甚大な被害をもたらした。
7月5日から降り始めた大雨により、高速道路近隣の斜面が崩れ、土石流が流れ込んだ。幸いなことに、早々に通行止めとなっていたために人的被害はなかった。しかし、光ケーブルには影響が出はじめていた。
翌6日午後、『九州エリアの光ケーブルが寸断するかもしれない』との報せを受け、事務所で待機していた日本通信エンジニアリングサービス 広島センターの藤野剛らはケーブルの迂回作業を行うために現場に急行。その直後に回線が切れた。
「ああ、九州側で切れてしまったのか」と思ったが、現実は違った。『志和ネットワークセンター付近で切れてるぞ』という情報が入る。一瞬、なにが起きているのかわからなかったが、事態の深刻さを理解するのに時間はいらなかった。
「なんだこれは!?」見慣れたはずの景色が変わり果てていた。トンネルの東側で発生した土砂崩れによって、山からの土砂がトンネル内に流れ込み、流木とともに2km先の西側の出口まで押し寄せていた。
「大変なことが起きている……!」。人員・情報・時間、すべてが不足するなか、藤野らはたった4人で災害に立ち向かい始めた。
■通信を止めるな
倒壊した家屋や流されたクルマを見て、広島県で生まれ育った藤野は大きな衝撃を受けていた。だが、今はやるべきことがある。通信を守るのだ。
もちろん、光ケーブルが切断されたときに、通信環境が途切れないようバックアップの準備はできている。しかし、現時点で復旧が可能であれば対応しておきたい。幸いなことに被災を免れた光ケーブルがあり、別ルートにバイパスすることで応急処置をするアイデアを思い付いた。
現場と周辺環境を熟知する藤野は関係各所と折衝し、人を集め、現場に的確な指示を出し続けた。その甲斐あって、明け方には復旧措置を完了させることができた。
相次ぐ “想定外”
ほっとしたのも束の間、追い打ちをかけるように新しい被害情報が舞い込んできた。『国道が陥没しているぞ!』
今まさに復旧対応を終えた高速道路近くの光ケーブルのバックアップ先が広島県の東西を結ぶ幹線道路だった。高速道路と国道、その両方で同時に異常事態が発生していたのだ。すぐさま現場に向かう。
国道は、川の氾濫によって大きくえぐられており、光ケーブルを覆う構造物が剥き出しになっていた。しかし、奇跡的に切断は免れていた。不幸中の幸いだった。
両道路の光ケーブルが同時に寸断されていたら……。志和ネットワークセンター付近トンネル内での作業が少しでも遅れていたら……。取り返しのつかない事態が起きていたに違いない。藤野らは、ほっと胸をなでおろす。
しかし、現場は予断を許さない状況だ。早急に、地下にある光ケーブルを電柱づたいのルートに切り替えることにし、圧迫を受けていないケーブルの洗い出しと、回線ごとの再設定を実施する必要があると判断した。しかし、復旧対応に取りかかる前にやるべきことがもうひとつあった。
■残されたタイムリミットは一週間
藤野がやるべきことは、道路管理者との折衝だった。
道路管理者から、『国道を生活道路として早急に復旧させたい。そのためには地下にある光ケーブルを一旦切断しなくてはならない』という通告があったのだ。
道路管理者の言うことも、もちろん理解できる。だが、国道地下の光ケーブルのなかにはKDDIの回線だけでなく、防災情報やライフラインに関わる回線も収容されている。今、切断させるわけにはいかなかった。
藤野「この光ケーブルは一事業者の通信じゃなく、被災した住民の方たちが今まさに必要としているものなんです! 仮設復旧が完了するまでは絶対に切らないでください!」
道路管理者「……わかりました。一週間後の朝9時までは待ちます。ただ、それ以上はこちらも待てません」
藤野「ありがとうございます!」
すぐに動き始めなくてはならない。藤野は現場に駆け付けたその足で、国道に埋設されている光ケーブルの代わりになる仮設復旧の電柱ルートを探し始めた。
被災直後で浸水や冠水も多発しており、どの道が通れるかもわからない状況。だが今はとにかく現場で足を動かす、それしかなかった。
■切り替え作業の作業時間リミットは10秒
7月9日、被災から3日目。藤野は国道沿いにいた。陥没した国道で圧迫され続けている光ケーブルはいつ切れてもおかしくなく、安全なルートをくまなく探し歩き、仮設電柱による復旧計画を策定した。作業を完遂するためには、一旦、高速道路ルートへの迂回切り替えが必要であり、藤野は最前線で指揮を執り24時間交代で対応していた。
通常、こうした切替作業は最低でも60日前から準備をしたうえで、万全の体制のもと、30分から1時間かけて行う。だが、今は緊急事態。必要最低限の作業を10秒以内に完了する必要がある。
連日続く緊急対応で、肉体的にも精神的にも疲労はピークに達していた。しかし、こんなときに頼りになるのは日々積み上げてきた経験だ。これまで幾度となく繰り返してきた作業は、身体が覚えている。夢中で手を動かし、10秒の制限時間というプレッシャーのなか、作業は8秒間で完了した。
こうして無事、光ケーブルを高速道路ルートへと切り替えることができた。
■つなぐこと、そしてつながること
光ケーブルのルートを切り替えたのち、国道の復旧作業は、藤野が見立てた電柱ルートに沿って仮設ケーブルを張っていった。本来であれば、こうした移設作業も半年ほどかけて行うものだが、道路管理者と約束した期日が迫っている。
藤野たちに許された時間は、わずか数日。広島県内だけでも5,000カ所で土砂崩れが発生し、交通網は混乱。現場に来られないKDDIスタッフも大勢いるなか、各拠点から人員や物資のサポートが集まりはじめる。
「通信をつなぐという思いが、KDDIスタッフのみんなをつないだ。そのことが本当にうれしく、力になりました」と藤野は語る。連日の気温が37℃に迫るなか、「復旧するんだ!」というひとつの目標に向かって全員が一丸となり、ただひたすらに身体を動かし続けた。
そして7月14日――、道路管理者と取り決めた光ケーブル切断予告日。
全員が持ち場で全力を尽くした結果、タイムリミット2時間前にすべての回線を安全な電柱ルートに切り替えることができた。
■インフラの先に見えるもの
全国から社員が集まり、“復旧”というひとつの目標に向かって一丸となることで危機を回避することができた。
「『安心して使っていただくことができ、いつでも快適につながるネットワークインフラであり続ける』――。私たちが守っている光ケーブルには、普段の生活に欠かせないサービスや避難・救助のための情報、そして被災された方々の安否を気遣う “みなさまの思い”が詰まっています。
災害時にこそ通信は必要とされ、お客さまの大切な通信をいつも通りに届け続けることが本当に重要なんだと、肌で感じることができました。大変なことばかりでしたが、だからこそ使命感を持って作業に従事することができたのだと思います。インフラの先にはお客さまがいます。当たり前のことですが、その事実を忘れずに、今後も仕事に向き合っていきたいと思います」
こうして西日本豪雨の裏側で起きていた通信の危機は、回避することができた。非常時の緊急対応は、平時から積み重ねられた現場作業のたまものだ。通信は、スタッフ一人ひとりの“ゲンバダマシイ”が支えているのだ。
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