2015/06/11

【後編】大小23基ものパラボラアンテナが咲き乱れる

パラボラは動くのがお好き?

山口県にある国内随一の衛星通信施設「KDDI山口衛星通信所」を訪ねるレポート、今回は後編。前編で語り尽くせなかったパラボラアンテナの驚きのヒミツの数々を紹介していきたい。

小さなもので直径1m以上、大きなものだと30mを超す巨大なアンテナは、じっと衛星からの電波を待ち受けているようで、実は小まめに動いている。というのも、「静止衛星」の方が宇宙空間で星の重力や太陽風などさまざまな影響を受け、静止していることができないからだ。衛星は「ビーコン」と呼ばれる信号を地上に向けて発し、アンテナはその信号強度がもっとも強くなるように微妙に向きを変える。一度に動くのはだいたい数ミリ程度。ミリ単位の精度のために、巨大な人工物を動かし続けているわけだ。

衛星から発せられる「ビーコン」は、地上のアンテナで受信できないこともあり、そんなときでも通信を途絶えさせないための仕掛けがある。
「衛星は、地球の重力のほか、月や太陽の引力および太陽の輻射圧等によって、1日周期で"8の字"を描いて動いています。ビーコンの受信ができないときは、過去の衛星の動きを示すデータから衛星の動きを予測するプログラムを利用して、アンテナの角度を微妙に調整しています」(牧尾雅明山口技術保守センター長)

アンテナの向きを変えるための装置が、巨大なレールだ。アンテナの土台部分にグルっと1周敷かれ、アンテナを水平方向に回転させる。

アンテナをわずか数ミリ動かすために、こんなに巨大な仕掛けが必要なのかと驚くかもしれないが、太平洋上を向いていたアンテナをインド洋上に向けることもあれば、その反対のことが必要になるケースもある。アンテナを動かせるようにしておくことで、そのときどきの状況に合わせて、用途を柔軟に変えることができるというわけだ。なお、アンテナの向きを変える動力は、通常はモーターだが、保守点検でモーターを交換する際は人手だけが頼り。「ビーコン」の受信強度が最大になるように、人間が手動でアンテナの向きを調整する。

アンテナは、水平方向だけでなく垂直方向にも向きを変える。太平洋上の衛星と通信するには空を仰ぎ見る必要があるが、インド洋上の衛星と通信するには地平線すれすれにアンテナを向ける必要がある。

所内最大、直径34mのアンテナを動かすためのレール。アンテナも巨大ならレールも車輪も巨大。車輪だけで1mぐらいの大きさはある

所内でもっともダイナミックに動くアンテナは、2001年に国立天文台(NAO)に寄贈された直径32mの「電波望遠鏡」だ。観測対象の星が変われば、アンテナの向きも変わる。「水平方向から真上の天頂角を向くまで、だいたい5分ぐらい。動いている様子をお見せできるといいんですが......。今日はあいにくその予定がありません」と盛田昌樹マネージャー。巨大アンテナが動く様子はさぞ壮観に違いない。

国立天文台(NAO)に寄贈され、今は「電波望遠鏡」として活躍する直径32mのアンテナ(左)

直径32mのアンテナが真上を向くとこのようになる(写真:KDDI資料)

雨にも負けず風にも負けず......

通信施設は24時間365日、片時も止めることが許されない。そのため、たいていの通信施設は地盤の強固なところにつくられているが、屋外に設置するパラボラアンテナは、雨風への対策も求められる。とくに巨大なアンテナほど、帆船の帆が風を受けるのと同じ理屈で、大きさの分だけ風の力を受ける。強風を受けてもサービスを継続できるように、アンテナは風速55m/秒にまで耐えられる設計になっている。

所内最大、直径34mのアンテナも、風速55m/秒にまで耐えられる設計になっている。風を受けるのは難儀だが、夕日を受けるとアンテナはとても美しい

前編で触れたとおり、地震や台風の発生が少ないことが、この地が"パラボラの郷"になったひとつの理由だが、そうは言っても、ときには山口にも台風がやってくる。1991年9月には、勢力の強い台風19号が九州・長崎に上陸したのち山口県を直撃した。施設内の観測で最大瞬間風速55m/秒、平均で32m/秒を記録したこの台風は、中国地方を縦断した後に日本海を北上、東北地方のリンゴに甚大な被害をもたらし、「リンゴ台風」とも呼ばれる。

設計能力以上の強風にさらされたときには、アンテナを真上に向けて風をやり過ごす策が用意されてはいる。だが、そうなると通信を止めざるを得ない。「リンゴ台風」のときばかりは、この最後の手段を使わざるを得ないかと関係者一同やきもきしていたが、幸いにもその事態を回避することができた。
「衛星通信所の開所以来46年の歴史のなかで、風を避けるためにアンテナを真上に向けたことは一度もありません」と、牧尾センター長は少し誇らしげだ。

雪にも雷にも負けず......

アンテナにとってもうひとつの大敵は雷だ。
雷の直撃を受けると、高圧・高電流でアンテナとその周辺装置が損傷してしまう。それを防ぐため、アンテナには2つの避雷針が備え付けられている。1つは、アンテナ上部にちょこんと伸びている針のようなもの。もう1つは、アンテナ中央の「副反射鏡」(前編参照)を支える支柱の先にある。

なぜアンテナ中央に避雷針をつける必要があるのか――

それは、強風対策でアンテナを真上に向けることがありうるからだ。このときアンテナ上部の避雷針は、避雷針としての役割を果たせない。風を避けようとしているあいだに雷が発生してもいいように、アンテナ中央にも避雷針が設けられている。

「KDDI」のロゴの上にちょこんと伸びる避雷針

アンテナ中央、「副反射鏡」を支える支柱の先につけられた避雷針

前から見るアンテナは、白くて丸くてどれも似通った形をしているが、裏面に目をやるとバリエーションに富んでいる。その理由を牧尾センター長に尋ねた。
「裏面には、積雪に備えてヒーターが内蔵されています。アンテナに雪が積もると電波を受信する感度が弱まってしまうからです。ヒーターの方式がメーカーやアンテナによって異なり、それが裏面の形状の違いにつながっています」
アンテナのヒーターは、温度が5℃を下回り、雨滴を検出すると自動的に雪と判断してスイッチがONになる。雨の日も風の日も雪の日も雷の日も、アンテナは1日たりとも休むことなく衛星との通信を続けている

表面以上に表情豊かなアンテナの裏面。アンテナを温めるため、メーカーがさまざまな工夫を凝らしている

何があっても通信を止めない備えは、電源や通信経路にも施されている。
「電源は、中国電力から異なる2つの系統を確保しています。それに加えて自家発電装置を保有し、80時間は施設を維持できるだけの燃料を備蓄しています」(牧尾センター長)
不測の事態が起こり、商用電源が断たれた場合も、自主電源だけで3日以上は「通信を守る」ことができる計算だ。

「山口衛星通信所」は、通信の中継地点に当たる。国外から送られてきたデータは衛星を介して「山口衛星通信所」に届き、東京の新宿・大手町のネットワークセンターを経由して目的地まで運ばれる。反対に、国内から発信されたデータは、新宿・大手町のネットワークセンター経由で「山口衛星通信センター」に届き、衛星を介して目的地へ送られる。
山口―東京間の通信経路として、センター近くを通る中国自動車道沿いに、上りと下りの両方向に光ファイバーが敷設されている。上りはそのまま東京方面に向かい、下りも九州を経由して海底ケーブルで東京へ向かう。どちらかの通信経路でトラブルが起きても、東京との通信を確保できるネットワークの構成だ。

新宿・大手町との間でデータを送受信する装置とアンテナをつなぐ、施設の地下に設置された伝送ケーブル類。近未来都市のようなこの光景は、本邦初公開だ

「通信を守る」人の体制も万全だ。台風や雷の発生が予測されると、夜間であろうと休日であろうと、ここで働く27名全員が緊急出動し、万一の事態に備える。
「台風のときは、所内に設置した風速計と気圧計と睨めっこです。ニュースの気象情報も参考にしますが、厳戒体制をいつ解くかは、所内の風速や気圧が重要だからです」と牧尾センター長。苦労が偲ばれるが、盛田マネージャーによれば、「終わってみれば、それもいい思い出になる」という。

衛星通信所の役割や歴史を語る牧尾センター長(左)と盛田マネージャー(右)。その表情と話しぶりから、パラボラアンテナへの愛情と誇りがひしひしと伝わってくる

通信を止めないためにこれだけ手を尽くしている衛星通信所だが、46年の歴史で一度だけ、アンテナ1基の稼働が止まったことがある。
「5年前に雷が電源ケーブルを直撃し、アンテナに電源を送ることができなくなってしまいました。所内の移動電源車を出動させ、すぐにサービスを復旧させたので、大事には至りませんでしたが」と、牧尾センター長は悔しそうに語る。
このときの出来事は、有事への備えを怠らないという教訓とともに、今も所内で語り継がれているという。機械やコンピュータが担っているように見える通信も、最後の最後のところでは、そこで働く人たちが支えている。

衛星通信所の近隣にはスーパーもコンビニもなく、所内の食堂が、センターで働く人たちの昼のひとときを支えている。昼食をつくるのは近くに住む親子。スタッフ一人ひとりの好みを覚えているという心を尽くした手料理は、緊張感を強いられる仕事の合間にほっと安らぎのひとときをもたらしてくれる

衛星通信の欠かせざる役割

前編でも触れたとおり、日本で衛星通信が始まったのは1963年、「山口衛星通信所」が開かれたのは1969年のことだ。それから1970年代にかけて、衛星通信は紛れもなく国際通信の主役の座を担い、国際テレビ中継はほぼ衛星通信の独壇場だった。
ところが1980年代に入ると、高速・大容量通信を可能にする光ファイバーの技術革新が進み、光海底ケーブルが国際通信の主役の座を担うようになった。

それまで海底ケーブルには、「同軸ケーブル」と呼ばれる主に銅でつくられたケーブルが使われていた。それと比べると衛星通信に伝送容量品質で優位性があったが、光ファイバーが普及するにつれ、国際通信の主役は光海底ケーブルへ移っていく。盛田マネージャーによれば、「今では、インターネットや国際電話、国際テレビ中継など、国際通信の99%以上は、光海底ケーブルを介して行われている」という。

割合にすれば国際通信の1%に満たない衛星通信だが、今でも数々の重要な役割を果たしている。 例えば、内陸部の紛争地や途上国から国際テレビ中継をするにも、現地では通信網や電力網が整備されていないことが多い。光海底ケーブルで映像を送りたくても、そこまでデータを送るインフラがなく、衛星が唯一の通信手段となる。日本から世界各国にテレビ映像を送る「NHKワールド」でも同様のことがいえる。衛星通信では、周辺の通信網が未整備でも、アンテナさえ設置すれば、世界中どこでも映像を見ることができるのだ。

衛星通信は、非常時の通信回線としても大きな役割を果たしている。
先の東日本大震災ではauの通信網も大きな被害を受け、あちこちで通信断を余儀なくされた。陸上の通信網が復旧されるまでのあいだ、アンテナを搭載した移動基地局が出動し、被災地との通信を確保した。阪神・淡路大震災のときも、衛星通信は、寸断されたケーブルを迂回するバックアップ回線の役割を担った。

これらのケースでは、陸上に設置したアンテナ同士が衛星を介して通信を行う。この通信形態を「固定衛星通信」といい、前編でも紹介した「インテルサット」が、その代表的なサービスだ。
一方、飛行機の機内インターネットサービスや、海上を航行する船との通信は、同じ衛星通信でも少し勝手が違う。衛星通信の相手側が一カ所にとどまらずに動いているからだ。
このように、移動する相手と衛星を介して行う通信を「移動衛星通信」という。代表的なサービスが「インマルサット」で、登山家の三浦雄一郎氏が80歳にして3度目のエベレスト登頂を果たしたときには、「インマルサット」のデータ通信サービス「インマルサットBGAN」を利用し、登山の様子を伝える通信手段となった。

三浦雄一郎さんのエベレスト登頂を支えた「インマルサットBGAN」。通信速度は492kpbsで、音声や映像などさまざまなデータをやりとりすることができる


インテルサットとインマルサットの違い。インテルサットは、衛星を介して陸上の衛星通信所同士を結ぶのに対し、インマルサットは、船や飛行機など相手が移動する場合に利用される

大人も子供も無料で社会科見学。「KDDIパラボラ館」

本レポートの最後に、衛星通信所敷地内に併設された見学施設「KDDIパラボラ館」について紹介したい。館内では、衛星通信に関連する模型や実機、衛星を打ち上げるロケット、海底ケーブル敷設船の模型などが展示され、衛星通信と海底ケーブルの仕組みや歴史を学ぶことができる。休館日は毎週月曜日と年末年始、週末も遊びに行くことができ、見学は無料。団体で訪ねた場合は解説もしてくれる。直径30mを超す巨大アンテナの大きさを間近で実感することもできる。
再来年の2017年は、明治維新から150年という節目の年。記念すべき年の到来を前に盛り上がりの気運漲る山口の町と、通信の歴史の一端を感じる「KDDIパラボラ館」社会科見学。2つをセットにしたハイブリッド異色歴史ツアーもなかなかオツではないかと思うけれど、読者の皆さんやいかに?

館内の展示品の数々。近隣の小学生は必ず社会科見学に訪れるというが、大人になって訪ねてみてこそ、面白さがよく分かるというもの。皆さんもぜひ訪ねてみてはいかが?

文:萱原正嗣 撮影:有坂政晴(STUH)

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