2016/10/20

山の岩壁が巨大な“反射板”に? 北アルプスに電波を届ける驚きのアイデア

長野県西部の北アルプスの谷間、標高約1,500mの地にある上高地は、国の特別名勝や特別天然記念物にも指定されている国内屈指の山岳景勝地だ。3,000m級の穂高連峰をはじめとする雄大な山々や清らかな梓川が織りなす美しい自然をひと目見ようと、この地を訪れる観光客や登山者は年間150万人以上にも及ぶ。

そんな上高地のなかでも最奥にある「横尾地区」において、KDDIは2016年9月から10月にかけて、携帯電話の電波を届けるための通信エリア対策を行った。

横尾地区は上高地の中心部から徒歩で3時間ほど離れたところにあり、美しい自然を眺めながら日帰り散策できる格好のスポットになっているとともに、槍ヶ岳、涸沢、穂高岳、蝶ヶ岳など登山者にとって憧れの北アルプス登山の玄関口にもなっている地区である。

上高地・横尾地区を起点にして登ることができる北アルプスの穂高連峰。正面中央奥のやや左手に見えるのが、国内で3番目に高い奥穂高岳(標高3190m)

上高地自体は著名な観光地であり、すでにそのほとんどの場所でスマートフォンや携帯電話を問題なく使うことができる。しかし横尾地区は基地局を設置するのが難しい山奥にあり、これまで電波を届けることができずにいた。そこで今回の対策に至ったわけだが、山奥にある上高地の横尾地区に、KDDIはどのような方法を使って電波を届けたのだろうか?

登山口から山頂まで、5時間以上かけて山道を歩く

9月下旬、上高地の横尾地区の通信エリア対策工事が行われるとのことで、TIME & SPACE取材班はその取材のため現地へ向かった。KDDIの担当者からは事前に「今回の通信エリア対策は過酷な登山を伴うので、取材班は全員登山上級者でお願いします。山岳遭難保険の加入も必須です」と連絡を受ける。それほど過酷な環境なのだろうか・・・・・・!?

今回は上高地・横尾地区の通信エリア対策の取材だが、工事自体は横尾地区の東にそびえる蝶ヶ岳(標高2,677m)の山頂付近にある蝶ヶ岳ヒュッテで行われるとのこと。標高が高く難易度の高い北アルプスへの登山を伴う、今回の通信エリア対策。いつになく体力が要求される取材になりそうだ。

取材当日の朝、集合場所の三股登山口に向かうと、先に到着していたKDDIの担当者たちが登山に向けて準備を整えていた。

今回の上高地の横尾地区の通信エリア対策工事を指揮するKDDIエンジニアリング中部支社の加田周吉(手前)と五嶋宏章
山での安全のために必ず提出しておきたい「登山カード」。メンバーの連絡先や登山計画などを記入し、登山口に用意された投函箱に投函する

そしていざ、登山スタート。三股登山口(標高1,360m)から蝶ヶ岳ヒュッテのある蝶ヶ岳山頂(2,677m)まで、距離約6.4km、標高差約1300m。一般的なスピードで登ると片道5時間ほどの道のりである。

長野県安曇野市にある三股登山口が今回の登山の出発点

登り始めてしばらくは、なだらかな樹林帯が続く。天気は快晴。秋らしいカラッとした陽気のなか、KDDIエンジニアリングの加田と五嶋は軽快な足取りで登山道を登り進めていった。

30分ほど進んだあたりから傾斜が一気にキツくなり、登山に慣れたメンバーもさすがに呼吸が乱れてくる。つづら折りの登山道を一歩一歩進んでいくと、まめうち平という休憩地にたどりついた。

この地点の標高は約1,900m。距離は登山口から2.5kmで、蝶ヶ岳ヒュッテまでは3.9km残っている。まだ半分も来ていない。水分を補給し、軽食をとって、再び登り進めることに。

登山道は依然として樹林帯のなかにあり、景色はほとんどのぞめなかったが、時折抜けが良いところに出ることも。その美しい景色が登山のキツさを癒やしてくれる一服の清涼剤となった。

右奥に見えるのは、日本百名山のひとつに数えられている常念岳

森林限界を超え、ついに蝶ヶ岳山頂へ!

標高が上がるにつれて、足元は険しい岩場に。息を切らせながら、そして転んだり足を踏み外したりしないよう細心の注意を払いながら、慎重に歩を進めていく。

登山口をスタートして約4時間半、標高約2,500m地点にある最終ベンチに到着。山頂まで、あとすこしだ。

最終ベンチからさらに30分ほど進むと、森林限界を超え、視界がパーッと広がる。北アルプスらしい雄大な山々が見えてきた!

三股登山口をスタートして約5時間半、ついに蝶ヶ岳山頂に到着。

ここから西側にそびえる穂高連峰は残念ながら厚い雲に覆われていたが、北側の常念岳およびそこに向かう稜線はくっきりとその姿を確認することができた。

蝶ヶ岳山頂に到着後、今回の通信エリア対策工事の現場である蝶ヶ岳ヒュッテへ。

蝶ヶ岳山頂付近に建つ蝶ヶ岳ヒュッテ

蝶ヶ岳ヒュッテは登山者に宿泊場所や食事を提供している山小屋であり、我々取材班はここで一泊することに。

私たちも合流して、早速仕事スタート・・・・・・といきたいところだが、腹が減っては戦はできぬ。まずは蝶ヶ岳ヒュッテの食堂で腹ごしらえ。

蝶ヶ岳ヒュッテは食事に定評あり。長時間に及んだ登山の後のカレーライスが最高に美味い!

上高地・横尾地区に電波を届ける秘策。「山岳反射」って何だ!?

さて、お腹も満たされたところで、いざ本題へ。今回の通信エリア対策工事を指揮するKDDIエンジニアリングの加田と五嶋に、今回の工事の概要、そして上高地・横尾地区に電波を届けるための方法について、話を聞くことにした。

――今回は上高地の横尾地区に電波を届けるための工事だと聞いていますが、なぜそのために5時間もかけてこの蝶ヶ岳まで登ってきたのでしょうか?

加田「通常であれば、電波を届けたいエリア内に基地局を設置しますが、上高地の横尾地区は通信回線と電源を確保できない山奥にあり、基地局を設置するのが困難なため、ほかの手法を検討する必要がありました。そこで我々が採用したのが、地形を利用し遠くから電波を飛ばす手法です」

――なるほど。ではこの蝶ヶ岳ヒュッテから、上高地の横尾地区に向けて、電波を飛ばしているんですね?

五嶋「はい、その通りです。蝶ヶ岳ヒュッテのオーナーさんのご協力のもと、アンテナやバッテリーなどの機器を設置させていただき、麓の安曇野の基地局から飛ばした電波をここで受信し、上高地の横尾地区に向けて電波を飛ばしています」

麓の基地局から飛ばした電波を受け取るアンテナ。景観に考慮し、蝶ヶ岳ヒュッテの建物の裏の目立たない場所に設置された
横尾地区に向けて電波を発射するアンテナ

加田「ただ、蝶ヶ岳ヒュッテから上高地の横尾地区に向けて電波を飛ばすうえで、ひとつ大きな問題がありまして・・・・・・」

――問題とは?

加田「アンテナは電波を届けたい場所に対して、障害物のない見通しの良い場所に設置する必要があるのですが、ここ蝶ヶ岳ヒュッテから上高地の横尾地区は直接見通しがとれません。そこで今回の通信エリア対策では、"山岳反射"という特殊な手法を用いることにしました」

――山岳反射!? それはどういったものなのでしょうか?

加田「山岳反射は、山岳地形を巨大な反射板と見立て、岩壁等に反射させて、目的の場所へ電波を届ける手法です」

――えっ、電波ってそんなにうまく反射するものなんですか?

五嶋「山岳反射は自然の地形を利用するため、机上のシミュレーションによる検討が難しいのが実情です。ただ今回は、屏風岩という樹木のない巨大な岩壁がそびえているなど、山岳反射のための好条件が整っていたので、実施に至りました」

麓の基地局から飛ばした電波を蝶ヶ岳ヒュッテのアンテナで受信し(①)、屏風岩に反射させて上高地の横尾地区に電波を送信する(②)
中央下あたりに見えている岩壁が、今回の山岳反射で用いられた屏風岩

加田「山岳反射の実現には長い時間がかかっています。担当部門が数年に渡って実験・検証を行った末に、ようやく有効性が実証されたものなんです。

――山に電波を届けるのって、私たちが思っている以上に大変なことなんですね。

五嶋「今回私たちは歩いて登りましたが、ここに至るまでバッテリーなど重くて大きい機器の運搬があり、それは人の力で運ぶことができないため、ヘリコプターを利用しました。それも山ならではの事情ですね」

バッテリーなどの重い機器の運搬にはヘリコプターが活用された
今回の取材に協力してくれたKDDIエンジニアリング中部支社の加田(左)と五嶋(右)。「つながらなかったところがつながるようになることにやりがいを感じる」と口を揃える
通信エリア対策工事は多くの人が携わる。工事関係者は約1週間蝶ヶ岳ヒュッテに滞在して設置作業にあたった。後日、別の作業のため再び山に登り滞在する担当者もいた

登山者の「安全」と「安心」のために

山で電波がつながること、そして携帯電話やスマートフォンを使えることについて、登山者を受け入れる山小屋側はどのように捉えているのだろうか? 蝶ヶ岳ヒュッテのオーナー、神谷圭子さんに聞いた。

蝶ヶ岳ヒュッテのオーナー、神谷圭子さん

「かつて山に登ることはあくまでも自己責任で、自分の命は自分で守るのが当たり前でした。しかし時代の流れとともに、登山者の意識もすっかり変わりました。そのような時代の流れには逆らうことはできませんし、スマートフォンや携帯電話は現代において欠かすことはできないものなんでしょう。最新の天気情報を得たり、いざというときに外部と連絡をとったり。山でスマートフォンや携帯電話が使えることは、登山者にとって良い面がたくさんあると思いますし、安全確保の面でも非常に重要な役割を果たす時代になったんだと思います」

auのLTE通信網は人口カバー率99%を超えているが、それでも北アルプスのような険しい山岳地帯では、電波の届かないところはある。登山が好きな人なら、山でスマートフォンや携帯電話が使えず、もどかしい思いをしたことは一度や二度はあるだろう。その状況にKDDIも手をこまねいているわけではなく、加田や五嶋をはじめとする全国の担当者が「つながらない」を「つながる」に変えるべく、地道な努力を続けている。ひとりでも多くの登山者が、安全に、快適に、そして安心して登山を楽しめるようにするために。

文:榎本一生
撮影:小関信平

※上高地「横尾地区」のエリア対策は5月~10月(積雪状況により変わります)となります。

※掲載されたKDDIの商品・サービスに関する情報は、掲載日現在のものです。商品・サービスの料金、サービスの内容・仕様などの情報は予告なしに変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。