2017/07/10

大昔の通信手段・飛脚は速かったの? 東京から大阪まで飛脚になって手紙を届ける

飛脚の格好をする地主恵亮

飛脚というものがある。江戸時代頃から活躍した、今でいう郵便屋さんのような存在だ。新幹線も飛行機もない時代に東京ー大阪間を最短3日で手紙を届けていたという。棒の先に箱をくくりつけた、妙に前傾姿勢な飛脚の絵などは誰もが見たことがあるのではないだろうか。

ただ、果たして本当にそんなに早く手紙を届けることが可能だったのだろうか? 東京から大阪まで、たったの3日間で到着するなんて考えられない。絶対にキツいはずだ。

通信の進化

誰かへメッセージを届ける「通信」は進化を続けてきた。「狼煙」という時代もあっただろうし、「矢文」という時代もあっただろう。そして飛脚が登場し、郵便制度が登場し、やがてEメールなどが出現した。日々進化しているのだ。

ディスプレイされているケータイ

ケータイだけを見ても昔はこんなの!

そんないろいろある通信手段のなかでも今回注目したいのが、「飛脚」である。江戸時代から明治初期まで活躍した通信手段で、東京ー大阪間を最短3日で届けたというのだ。今では新幹線や飛行機があるからわかるけれど、もちろん当時はそんなものはない。すごすぎないだろうか。

地主恵亮

という話を(※この記事を書いている地主です↑)、

KDDIハラダと地主恵亮

KDDIのハラダさんにされました!

昔を知る

KDDIに呼ばれ、私はハラダさんを訪ねた。そこで話されたのが「飛脚」だった。今やスマホでなんでもできるけれど、当時は違った。Eメールは便利だけれど、故きを温ね新しきを知りたい、と言われたのだ。

KDDIハラダと地主恵亮

飛脚をやってください、と頼まれました。

飛脚になって、大阪のKDDI社員に当サイトがリニューアルしたことを伝えて欲しいと頼まれたのだ。私としては、メールでいいじゃん、と思うけれど、飛脚がいいらしい。頼まれると断れないタイプなので、飛脚についてとりあえず調べることにした。

リニューアルしたTIME & SPACE

こちらがリニューアルしたTIME & SPACE。

港区にある物流博物館と地主恵亮

そして港区にある物流博物館の、

地主恵亮と物流博物館の玉井幹司さん

玉井幹司さんを訪ねました!

地主「そもそもなんですが、飛脚って実在しました?

玉井「もちろんしました。資料もたくさん残っています。

地主「しちゃいましたか、やっぱり。でも、東京ー大阪を最短で3日とか、考えられないですよね・・・・・・。」

玉井「ひとりの人が届けたわけではありません。民間の飛脚の場合、18世紀には東海道に20カ所ほどの「継所(読みは不明)」と呼ばれるものがあり、そこで届ける人が変わります。リレー形式ですね。幕府の公用飛脚は東海道は57カ所の宿場で継ぎました。その場合、ひとり当たりが走る距離は10キロくらいなんです。」

地主「そう言われると現実的な気がしてきました。でも、脚すごい速いですよね?」

玉井「公用飛脚24時間で200キロ運ぶと言われています。継ぎ立ての時間もありますが、ならせば時速8キロくらいなので、今のマラソンランナーより全然遅いですね。」

当たり前だけれど、飛脚は実在した。そして、最短で東京ー大阪間を3日で届けていたのも間違いない。当時の料金としては、この3日で届けるコースがいちばん高く、今の金額で考えると数十万したそうだ。その金額を払ってでも届けたいものがあったのだ。

地主恵亮

物流博物館、かなり楽しいです。

地主「飛脚というと半裸みたいな状態でワラジのイメージがあるのですが。」

玉井「そういう人たちもいました。飛脚には大きく分けると幕府の「公用飛脚」と「大名飛脚」、民営の「町飛脚」がありました。その町飛脚は馬で行く場合は、「旅装束」です。胸当てをして、三度笠を被って、帯刀し、馬に乗って行きます。」

地主「まったくイメージにないですね。しかも、馬なんですか? 走らない?

玉井「町飛脚の場合、馬に乗っているのは「宰領」と言われる人で、この人は最初から最後まで荷物に付き添います。荷物は馬が運び、馬とその馬を引く「馬方」は宿場ごとに借ります。「宰領」は責任者みたいなことですね。」

町飛脚の展示

これがもっとも多かった飛脚「町飛脚」です!

地主「優雅! 飛脚のイメージじゃないですね!」

玉井「「公用飛脚」は半裸のような格好で走ったりします。民間の町飛脚でも走ることはありますが。」

地主「馬は使わないんですね。」

玉井「幕府の公用飛脚は馬は使いません。荷物も人が運びました。江戸ー大阪を3日で届ける時などは自分の脚で走ります。」

地主「ちょっと待ってください。そこも馬を使った方が早くないですか?

玉井「あ、そう思いますよね。でも違うんです。当時の馬は今のサラブレッドみたいな感じではなく、ポニーみたいな感じです。馬はパカパカ走るというより歩いていきます。だから、走った方が速かった。民間の飛脚で馬を使うのは、荷物が多いからですよ。」

地主「暴れん坊将軍(のオープニング)みたいなことはなかったんですね。」

玉井「ないです!」

公用飛脚の展示

これが己の脚で走る「公用飛脚」です!

地主「3日で届けるものってなんなんですか? 値段も高いのに。」

玉井「商売上での急ぎの通信や、江戸の大名屋敷などで国元に届けないといけない急用状ですね。これは急がないといけない。でもめったに使われませんでした。

地主「箱みたいなのを棒に吊して飛脚は走っていますが、手紙なら胸元に入れて走った方が走りやすくないですか?

玉井「大切な手紙なのでそのような扱いはできません。箱に入れて運びます。

地主「走りにくそうな・・・・・・。よく飛脚は呼吸法や走り方が違った、なんて聞きますが、どうなんでしょうか?」

玉井「そう言われていますが、キチンとした資料があるわけではないので実際はよくわかってないんですよ。」

地主「リレー形式で走るわけですよね。ひとりで最初から最後まで走るってことは完全にないんですかね?」

玉井「例外中の例外ですけど、伝説的な人物がいて、堺から江戸まで、ひとりで3日で走りきった飛脚の話も残っています。」

地主「Eメールの便利さを当時の人に教えてあげたいですね。」

地主恵亮と物流博物館の玉井幹司さん

飛脚の奥深さを知りました!

地主「当時の人ってワラジで走っていたんですよね? 靴擦れとかしないんですかね?」

玉井「どうなんですかね? するんじゃないですか。道は当時の方がクッション性があってワラジでも走りやすかったと思いますが。」

地主「実は今度、私が東京から大阪まで飛脚の格好で走ろうと思うんですが、できると思いますか?」

玉井「運動とかしてました?」

地主「いや、一度も! ずっと帰宅部でした!」

玉井「無理でしょうね、足も痛くなるし、せいぜい数百メートルが限界じゃないですかね。」

地主「ですよね!」

KDDIハラダと地主恵亮

という話をハラダさんにしました!

飛脚をやってほしいと言っていたハラダさんに、玉井さんに聞いた飛脚の話をしたけれど、「頑張ってください」とのことだった。私も私で、もう飛脚の格好をしているのだけれど。当サイトがリニューアルした旨が書かれた手紙を預かり、日本橋から東海道で大阪を目指すことになった。

飛脚の格好をする地主恵亮

大阪を目指します!

飛脚、大阪を目指す

飛脚の格好というものを初めてした。背中が海外の映画祭でレッドカーペットを歩く女優みたいにパックリ開いている。靴はワラジだ。走る前から痛い。ハラダさんには「申し訳ないけど血が出たら終わりですよ」と伝えてある。痛いのだ。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

背中パックリ!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

足もとはワラジ!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

ただこの格好、人気はありました!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

スマホで道を調べる!

日本橋から大阪はどっちだっけ? とスマホで調べた。飛脚なのに急に現代的な検索だ。スマホがないともはや方向も分からないのだ。道はわかった。早速走りだそうではないか。私は大阪を目指すのだ。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

軽快ですな!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

大阪が見えた気がします!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

嘘です、めちゃくちゃ痛い!

玉井さんが数百メートルでしょ、と私の飛脚の結果を予想していた。その通りだった。100メートルくらいで足が痛くて走っていられなくなった。ワラジの「ワラ」が足に食い込むのだ。靴擦れというか、ワラ擦れが起きている。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

歩くことにした。

歩いても痛いのだけれど、走るよりはマシな感じだ。当時の飛脚たちはこれで大阪まで走っていたと思うと尊敬する。早くも血が出そうなのだ。血が出たら終わりってことにしているけれど、マメもすごい。豆まきでもやっているのか、と思うようなスピードでマメができるのだ。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

休憩を挟んだりしつつ、

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

必死に歩きました!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

階段とかすごいキツい!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

実は棒が地味に肩を攻撃してくる!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

自転車でいいから欲しかった!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

でも、まずは品川を目指してとにかく歩いた!

日本橋から品川まではざっくり10キロほど。当時の飛脚ならば1時間ほどの距離だ。ここまで誰かが走り、次の飛脚へとバトンタッチしていた。ただ今回はひとりで大阪まで目指す。足が痛いなんて言っていられないのだ。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

品川に到着しました!

日本橋を出て、驚くことに3時間で品川に到着した。いつも通りの格好で歩いた方が早く到着するけれど、飛脚の格好ではこのくらいの時間がかかるのだ。さっきから同じことしか言っていていないけれど、足が痛いのだ。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

次の川崎を目指す!

品川についたので次の宿場である川崎を目指す。日本橋から品川が3時間もかかったので、大阪までは何日かかるかわからない。当時のトボトボ歩く馬の方が速いかもしれない。でも、私は諦めない。当時の人にできたのだから、私にもできるはずなのだ。

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

ひたすら、大阪を目指し歩く!

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

大阪に着くんだ

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

という目標を

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

心に刻み、

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

足の痛みに耐えつつ

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

大切な手紙、

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

せっかくなので、

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

この速そうな乗り物を

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

思う存分

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

活用しつつ、

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

大阪まで

飛脚の格好で大阪を目指す地主恵亮

届ける!

大阪へ到着

頑張ったと思う。北品川駅で大阪までの行き方をスマホで調べた。新幹線が速いとわかった。そこで私は迷わず品川駅まで戻り、新幹線に乗り込み、スマホをいじりながら車窓を楽しみ、大阪に到着した。

足がね、マジですごいの!

体力的にはもっと歩けた。それは間違いない。私は1日で90キロ歩いたり、40℃の炎天下に40キロ歩いたりした経験がある。しかし、ワラジには勝てなかった。血が滲むように出てくる。マメが破れ、そこにまたマメができる。痛くて歩けたもんじゃないのだ。

au OSAKAの中島さんと地主恵亮

とりあえず、au OSAKAの中島さんに、

au OSAKAの中島さんと地主恵亮

手紙を届けた!

目的を見失ってはいけない。私は当サイトがリニューアルした、という手紙を届けることが求められているのだ。それを実行できればいいのだ。新幹線を使ってもいいじゃない、飛行機を使ってもいいじゃない、なのだ。手紙を届けることが大切なのだ。

au OSAKAの中島さんと地主恵亮

受け取った中島さんは、

メールで返事を返していた。

便利だな、と思った。そのくらいの連絡なら新幹線も飛行機もいらないのだ。メールでいいのだ。だって、このサイト自体がネットでどこからでも見られるんだから、メールでいいのだ。なんで飛脚をやったんだろ、と思いながらも、スマホがある現代に生まれてよかったと思っていた。

au OSAKAの中島さんと地主恵亮

便利だね、現代!

飛脚は無理!

故きを温ね新しきを知るために、あえて飛脚で手紙を届けた。結果は、「無理」ということだ。足には13カ所(足の裏とかかとの炎症を含める)のマメができていた。次の日なんて歩けたものではなかった。だからこそ感じるスマホの便利さ。道にも迷わないし。だからこそ、一通一通、愛情と感謝を込めて送って欲しい。今の私にはそれができる気がする。

飛脚の格好をする地主恵亮

カニはワラジを履くのは大変だろうな、と思っています。

・・・・・・というわけで、飛脚を使った通信では時間(TIME)の壁を壊せませんでしたが、現代では通信の発達により時間と空間、どちらの壁も壊すことができます。その壊しっぷりが分かるのが『TIME & SPACE』。今回のリニューアルを機に、さらに壊していきます! ご期待ください! 物理的に足の痛くない壊し方なのでご安心ください!

文:地主恵亮
取材協力:物流博物館