2019/10/23

日本で電話が生まれて150年。黒電話や公衆電話など『電話の歴史』を振り返る

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10月23日は、「電信電話記念日」。1869年(明治2年)の10月23日に、東京~横浜間の電信線架設工事に着手したことにちなむ記念日だ。

日本の電話の発端から数えて150年。ケータイやスマホでのコミュニケーションが当たり前になった現在、電話がどのように身近なものへと変わっていったのか? 初期の電話料金は? 黒電話のデザインの謎……、意外と知らない電話にまつわる歴史を振り返ってみよう。

電話サービス開設当初の加入者はたったの197世帯

電話加入者人名表 日本最古の電話帳「電話加入者人名表」(NTT技術史料館にて撮影)

教科書でもおなじみ、グラハム・ベルが電話機を発明してから14年後の1890年(明治23年)に、日本初となる東京〜横浜間での電話サービスが開始。明治23年といえば、第一回目となる衆議院の総選挙や帝国議会が開かれるなど、日本が近代化に向けて本格的に動き出した年だ。

当初の加入数は、東京で155世帯、横浜で42世帯のわずか197世帯。

日本最古の電話帳「電話加入者人名表」には、省庁など政府関連施設から、銀行、新聞社、通信社、交換局など、1から順に番号と加入者名が並んでおり、住所などの記載はなかった。ちなみに栄えある「1」番は、東京府庁(現在の都庁)。中には個人名もいくつかあり、のちの内閣総理大臣となる大隈重信、「日本資本主義の父」と称される実業家の渋沢栄一といった歴史に名を残す人物名も。当時の電話がいかに特別なものであったのかがわかる。

電話サービス開設当時は5分で約2,250円だった

明治時代の頃の2号共電式壁掛電話機 明治から昭和にかけて使用された2号共電式壁掛電話機(NTT技術史料館所蔵)

開局当時の電話代はいくらだったのか? 資料によると開局当時の明治30年頃、月額40円。当時の物価を現代に換算すると約3,800倍。つまり月額15万円! 東京市内(当時)の通話は月額料金を払えば無料だったのだが、東京から横浜の通話(市外電話)には、5分で15銭(現代に換算すると2,250円相当)かかったというから、まだまだ気軽なコミュニケーション手段ではなかったのだ。

電話から電話には直接つながらなかった時代…… 電話交換手は人気の職業

交換手 交換業務の様子。画像提供:日本電信電話株式会社

今も昔も、電話の発信者と受信者をつなげるためには「交換機」が必要だ。現在では、コンピュータ化されたシステムの登場により発信者から受信者への接続は自動化されているものの、電話の開設の初期から自動交換機の登場以前は「交換手」を介し、手動で回線をつなげていた。

この時代の電話には、まだダイヤルやボタンはついていない。電話をかけるには、まず電話機についているハンドルを回して「交換手」を呼び出し、つないでほしい電話番号を口頭で伝えて通話の申し込みをする。すると交換手が手動で交換機の線でつないで、通話が成立するというもの。

ちなみにこの交換手の仕事、海外から輸入された最先端の職業だったことから人気の職種だったそうで、対応のやわらかさから女性が多く登用されたそうだ。

ダイヤルもボタンもなかった公衆電話の元祖

日本で最初の公衆電話ボックス
日本で最初の公衆電話ボックス 日本で最初の公衆電話ボックスのレプリカ(NTT技術史料館所蔵)

一般家庭ではまだまだ普及に至らなかった電話が、庶民にも身近な存在となる契機となったのが街中に設置された「公衆電話」の登場だ。 それまで電信局・電話局内といった電話所だけにしかなかった公衆電話が、街頭にも進出したのが1900年(明治33年)。最初に設置されたのは上野・新橋の両駅構内の2カ所、屋外用の最初の公衆電話ボックスは、東京・京橋のたもとに建てられた。

当時、公衆電話は「自働電話」と呼ばれていたのだが、これはアメリカの街頭電話に表示されていた「オートマティックテレホン」をそのまま直訳したためと言われている。現在の公衆電話のように硬貨口はあるものの、5銭を入れたか、10銭を入れたのかは、内部にあるベルの音色で交換手が、なんと電話ごしに判断していたというから驚きだ。

「電話」マークの原型にもなった黒電話

元祖黒電話「3号電話機」 黒電話の元祖「3号自動式卓上電話機」(NTT技術史料館所蔵)

時代は巡り、昭和に入ると、いわゆる「黒電話」の元祖となる「3号自動式卓上電話機」が登場。電話機は1933年(昭和8年)に、郵便や通信を管轄していた逓信省(ていしんしょう)によって日本国内で制式化・提供開始された。

この3号機電話は、アメリカの著名な工業デザイナー、ヘンリー・ドレイファスにより考案された「302型卓上電話機」をヒントに作られたもの。その後、国産の技術だけで作られた「4号自動式卓上電話機」(1950年)、部品の改良により長寿命電話機といわれた「600形自動式卓上電話機」(1963年)へと改良を重ねていくが、中央の大きなダイヤルや安定感のあるブラックのデザインは、長く引き継がれていったのだ。

黒電話は災害に強い?

600形自動式卓上電話機 1963年(昭和38年)提供が開始された「600形自動式卓上電話機」(NTT技術史料館所蔵)

当時の黒電話は、災害に強かったのか。

答えは「半分YES」。というのも、黒電話は電話線を通して電力供給されているので、電話線と黒電話が直接つながっていれば、家が停電になっても、電話線が繋がっていれば通話ができる。

ただし、電話局からの給電が停止してしまったり、電話回線が切断されてしまえば当然、通話はできない。また、自宅が光回線でルータなど介して接続している場合など、接続状態によっては停電時に使用できないケースもあるとのことだ。

黒電話から「オシャレ電話」に

端末設備の自由化 コードレス化や子機の登場は当時の若者にとって革命的なできごとだった

時代が移り、1985年(昭和60年)、通信の自由化により国有だった通信事業が民営化され、時を同じくして家の電話が黒電話以外に自由に買い替えられるようになった。黒電話の時代は「一家に一台」が当たり前だったが、これを機に家電メーカー各社からさまざまなカラーやフォルムで、留守番電話機能や子機、ファックス機能などを搭載した電話機が続々と登場。80年代後半に始まる「トレンディドラマ」ブームと相まって、オシャレなインテリアのアイテムにもなった。

とくに、本体との距離は限られているものの、無線で通話できる子機の登場は、「電話は電話機の前で」というそれまでの通話スタイルの常識を覆す、画期的なものだったといえる。

公衆電話は色に歴史あり

4号自動式委託公衆電話機 1953年(昭和28年)に設置された当初の赤電話。一般加入電話のきょう体と受話器やコードなどを赤色に塗られたものだった(NTT技術史料館所蔵)
 5号自動式卓上公衆電話機(赤電話) 1955年(昭和30年)に登場した5号自動式卓上公衆電話機(赤電話)。料金前納式の公衆電話の元祖モデル(NTT技術史料館所蔵)

今では公衆電話すら見かけることは少なくなったが、当時の公衆電話には、用途ごとにいろんな色があったのをご存知だろうか。「自働電話」と呼ばれた初代公衆電話の登場から半世紀後の1951年(昭和26年)、一般の加入電話を店頭におく公衆電話がはじまり、1953年(昭和28年)からはより分かりやすく赤く塗られた公衆電話、通称「赤電話」が登場。公衆電話は戦後復興で電話需要が高まるなか、設置工事がなかなか追いつかなかったことから、お店の中や店先に設置する「委託公衆電話」という形で全国に広がった。

それから公衆電話は、用途ごとにカラフルに展開していく。1968年(昭和43年)には電話ボックス用の「青電話」、1972年(昭和47年)になると100円硬貨が利用できる「黄電話」が登場。遠い田舎の両親にかける長距離電話や長時間の電話に役立った。10円玉と、100円玉を投入できる仕様だったが、100円硬貨を使用した場合、100円分の通話に満たない場合でもおつりはでなかった。

青電話と黄電話(プッシュ式) 1968年(昭和43年)に登場した大形青公衆電話機(右)と1975年(昭和50年)に登場したプッシュ式100円公衆電話機(NTT技術史料館所蔵)

1982年(昭和57年)には、磁気カード「テレホンカード」が利用できる「カード式公衆電話」が登場。グリーンのボディが目印。枚数限定での“アイドルテレカ”が高額で売買され、社会現象にもなった。

カード式公衆電話 新幹線などに設置されているカード専用公衆電話。ダイヤルボタンの下のカード挿入口からテレホンカードを入れ、上部の液晶で残りの通話時間が分かる(NTT技術史料館所蔵)

1990年(平成2年)には、ISDN回線を使ったデジタル公衆電話機も登場。ノートパソコンが接続でき、データ通信や画像通信などが可能だった。当時、このグレーボディーの公衆電話機に助けられた“ビジネスマン”も多いだろう。

デジタル公衆電話機 デジタル公衆電話機。電話機の中央にプラグの差し込み口があり、パソコンなどと接続、テレホンカードか硬貨を入れてデータ通信ができた(NTT技術史料館所蔵)

こちらは少し珍しいKDD(当時)の国際通話専用の公衆電話。1990年(平成2年)、成田空港とKDDの営業所などに設置されていたもので、写真は1995年(平成7年)ごろまで活躍したモデル。通話料が高額になりがちな国際電話だったこともあり、専用のプリペイドカード、もしくはクレジットカードで利用ができた。

KDDのクレジットフォン 成田空港などに設置されていた国際通話専用の公衆電話「KDDのクレジットフォン」

電話誕生からケータイ誕生前までの歴史を振り返ってきた。スマホ1台で世界中とつながることができる現在から考えれば不便に思えるが、手紙や電報しかなかった時代、電話がもたらした時間差のない情報共有は画期的なものだった。150年前にはじまった東京~横浜間の電信線架設工事は、日本の情報化時代の幕開けともいえるのかもしれない。

文:よもぎ三太郎
写真:HAYASHI★2019

協力:NTT技術史料館

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