2016/03/19

「世界遺産・知床でスマホが使える」の舞台裏 厳冬期の通信エリア対策に密着してきた

2005年、日本で初めて世界自然遺産に登録された「知床」。ヒグマやエゾシカが暮らす原生林、オホーツク海に浮かぶ流氷といった雄大で荘厳な景観は見る者を魅了してやまず、この地を訪れる人は年間200万人以上と言われている。

知床は世界遺産であるとともに国立公園にも指定されており、景観への配慮や電源が確保できないといった様々な事情から、携帯電話の基地局を建てることができない。そのため、知床のなかでも特に観光客から人気の高い知床五湖において、携帯電話やスマートフォンがつながりづらい状況が続いていた。

KDDIはその状況の改善を図るため、2016年2月、知床五湖およびその周辺に電波を届けるための新たな基地局の建設工事を行った。その模様をレポートしよう。

北海道の東北端に位置する知床。手つかずの自然を今に残し、希少な野生動物が数多く生息することから"日本最後の秘境"とも言われる

厳冬期の知床は一面銀世界。気温は-10℃!

取材班は東京の羽田空港から北海道の女満別(めまんべつ)空港へ飛び、知床観光の玄関口として知られるウトロという地に向かう。空港から現地まで、クルマで約2時間の道のりだ。

深い雪に覆われた知床・ウトロ

2月の北海道は言うまでもなく厳冬期である。この日の知床地方にも雪が降っており、時折強く吹雪くことも。気温は-10℃。外に出ると耳が千切れそうなほど寒い。

このような雪深い地で、しかも吹雪いているなか、工事などできるのだろうか? そもそも、なぜこんな時期に工事を行うのか? そんな疑問が頭をかすめる。

基地局建設工事の当日、猛吹雪に見舞われる

今回、基地局を建てる場所は、ウトロの中心部からクルマで15分ほど離れた小高い丘にあるという。そこへ向かってさらにクルマを走らせると、雪はどんどん深くなっていく。

降雪があるうえに路面が凍結しているため、クルマの運転は細心の注意が必要

東京では見られない除雪車の姿も

エゾシカやキタキツネといった野生動物に出くわすことも、知床では珍しいことではない

基地局建設工事の現場にはすでにKDDIの担当者や工事関係者が集まっていた。

2本ある基地局のうち、左は既存の基地局で、右は新たに建設中の基地局。コンクリート柱の設置といった基礎工事はすでに完了しており、今回の工事はその総仕上げとして先端にアンテナを取り付ける作業がメインとなるという。

吹雪は強くなる一方で、目も開けていられないほどに

本当にこの吹雪のなかで、工事を行えるのだろうか? 今回の基地局建設工事を取り仕切るKDDIの中山浩輔とKDDIエンジニアリングの縣尚人に尋ねた。

左/KDDI 技術統括本部 建設本部 札幌エンジニアリングセンター 中山浩輔
右/KDDIエンジニアリング 東日本支社 札幌支店 建設グループ 縣 尚人

中山「この吹雪では無理ですね......。今日の工事は中止にします」
縣「天候の回復を待ちつつ、明日以降に持ち越しですね」

やはり、さすがにこの悪天候では工事は行われないようだ。そこで、いったんウトロに戻り、中山と縣に今回の工事の概要とその狙いについて話を聞いてみることにした。

世界遺産地域に電波を届ける"秘策"とは?

――今回の基地局建設工事を行うことになった経緯とその目的を教えてください。

中山「知床において、世界遺産センター、知床峠、オシンコシンの滝といった主要なスポットの通信エリア化はすでに完了していましたが、観光客から特に人気の高い知床五湖およびその周辺はつながりづらい状況が続いていました。そこでお客様に、より快適に携帯電話やスマートフォンをお使いいただけるよう、品質改善を図ることにしました」

縣「知床が世界遺産に登録されて以降、観光で訪れる方が増えていますので、今回の基地局工事はそういったお客様の声に応えるためでもあります。また、2015年にau VoLTEのサービスも始まったので、その品質改善も目的のひとつです」

――今回基地局を建てる場所から、知床五湖まで、結構離れていますよね?

中山「はい。10kmほど離れています」

――なぜわざわざ、そのような離れたところに建てるのですか?

縣「知床五湖は世界遺産保護地域および国立公園内にあるため、現地に基地局を建てることはできないんです

中山「10kmも離れていると、通常のアンテナでは電波が届きません。そこで今回新たに建てる基地局には、パワーが強く指向性の高い特別なアンテナを設置し、そこから知床五湖に向けてピンポイントで電波を飛ばすことで、通信状況の改善を図ることにしました」

基地局を建てられない知床五湖に向けて、10km先から強力な電波をピンポイントで発射

――工事の現場には既存の基地局も建っていましたが、なぜそれを利用せず、新たに基地局を建てることにしたんですか?

縣「既存の基地局を利用することも当初は検討したのですが、今回使うアンテナは通常のアンテナよりもはるかに大きくて重いため、強度的に耐えられないことがわかりました。そこで、既存の基地局の隣に併設するかたちで、新たに基地局を建てることにしました」

――そもそも、なぜ、このような雪深い厳冬期に工事を?

中山「知床のメインの観光シーズンは夏です。夏に知床を訪れるお客様に、携帯電話やスマートフォンを快適にお使いいただくには、雪が溶けてから工事をしては間に合いません。そこで、条件的には厳しいですが、冬のあいだに工事を行う必要があったのです」

留萌出身の縣(左)と、札幌出身の中山(右)。「つながりづらかったところをつながりやすくすることにやりがいを感じる」と口を揃える

インタビュー後、縣は「次の現場に行かなければならないので」と言い、知床から100kmほど離れた北見という地へ向かった。そこでも新たな基地局建設の竣工検査があるという。

一方の中山は、現場の責任者として知床に残る。この日は工事が中止になったため、時間がぽっかり空いてしまったのだが、「せっかく知床に来たので、時間の許す限り、主要スポットにおける電波の品質調査をしていきます」と言い残し、調査用の機材をクルマに積み込んで出かけていった。空いた時間さえも無駄にせず、"つなげる"ための労力を惜しまない。まさにゲンバダマシイである。明日は天候が回復して工事が再開できるといいのだが......。

強力なアンテナで、10km離れた知床五湖をピンポイントで狙う

そして翌朝。時折雪がちらついていたが、風は強くなく、工事は無事に行われた。

パワーが強く指向性の高い特別なアンテナ(上)を、コンクリート柱の先端に設置する

アンテナはワイヤーでコンクリート柱の先端へと運ぶ

アンテナを設置し終える頃には、空を覆っていた分厚い雲が去り、一時的に気持ちの良い青空が広がった

知床五湖をスノーシューで歩き、電波状況を調査

工事は無事に完了したが、これで終わりではない。新たに建設した基地局がピンポイントで狙った場所、すなわち知床五湖およびその周辺に、きちんと電波が届いているかどうかを確認するところまでが、中山に課せられた任務だ。

知床五湖には気軽に散策できる遊歩道が整備されているが、利用できるのは春から秋にかけてのみ。深い雪に覆われる冬季は立ち入ることができない。しかし、引率指導者として認定されたガイドが案内するツアーに参加すれば、冬季でも歩くことができる。

今回、中山はそのツアーを利用して知床五湖の電波調査をするとのことなので、取材班も同行させてもらうことにした。

知床五湖に向かう道路は、冬季は途中で通行止めになっており、ガイドなど許可を得たクルマのみ通行することができる

知床五湖には一湖から五湖まで大小5つの湖沼が点在する

ツアー用に貸し出されたスノーシューを装着し......

ガイドに先導され、深い雪に覆われた原生林のなかを歩く

要所要所で足を止め、専用のアプリを入れたスマートフォンで電波状況を確認する

用意したスマートフォンは5台。寒冷地ではバッテリーの減りが早いため、モバイルバッテリーも2個持参した

安定して通話ができるかどうかも確認

取材班は不慣れな雪に悪戦苦闘したが、生まれも育ちも北海道の中山は慣れた様子で歩を進めていく

全長約800mの高架木道。高電圧の電気柵が張り巡らされており、春から秋にかけてヒグマの出没に影響されることなく安心して散策を楽しめる

普段は歩けない湿地や湖面もルートの一部。ここを歩けるのは雪に覆われる厳冬期だけだ

ツアーの所要時間は約3時間。電波調査も滞りなく行えたようだ。その結果はどのようなものだったのか、中山に聞いてみた。

――今回の通信エリア対策によって、知床五湖およびその周辺の電波状況はどのように改善されましたか?

「まず、知床五湖散策の拠点となるフィールドハウスと駐車場は対策前と比べて通話も通信も快適にご利用いただける状況になりました! 知床五湖の散策ルートも今までは圏外で通話や通信がまったくできませんでしたが、散策ルートは電波が届くようになり、通話や通信ができるエリアがかなり広がりました。今後も引き続きさらなる改善に向けて取り組んでいきたいと思っています」

「北海道は広いので、今後もつなげる努力を続けていきたい」と中山

知床五湖での電波調査を終えたあと、ウトロに戻り、工事が行われていた現場に再び立ち寄ると、そこには2本の基地局が美しい夕暮れを背景に悠然と佇んでいた。

日頃から何気なく使っているスマートフォン。その電波がどこから飛んできているかなど、普段は意識することはないだろう。しかしその裏には例外なく、このような基地局の存在があり、どこにどのような基地局を建てれば良いかを考え続けている担当者の創意工夫があり、基地局建設工事に携わる関係者の苦労がある。それは電波を届けることが難しい知床に限った話ではなく、オフィス街でも、住宅地でも、電車やクルマのなかでも同じこと。人口カバー率99%を超えるauのLTE通信網は、中山や縣をはじめとする現場の地道な努力によって支えられている。

文:榎本一生
撮影:有坂政晴

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