2016/06/28

【イノベーターズ】「インターネットの『正義』に挑み続ける 天才プログラマー」竹中直純/前編

たけなか なおずみ
1968年、福井県生まれ。高校卒業後、アパレルブランドに就職。1年間の勤務を経て大阪府立大学へ。プログラマーとして頭角を現し、現在に至る。2ちゃんねるの全文検索や電子通貨「モリタポ」、「BCCKS」「OTOTOY」など数々の設計・システム開発に携わり、自らも経営。坂本龍一のネット上の表現活動をサポートし、村上龍の『希望の国のエクソダス』の主人公・ポンちゃんのモデルになったという説も。そして、元タワーレコードCTO

通信やICTにまつわる"なにか"を生み出した『イノベーターズ』。彼らはどのように仕事に向き合い、いかにしてイノベーションにたどりついたのか。本人へのインタビューを通して、その"なにか"に迫ります。

第2回は、竹中直純さん。
「なにをやったか」と問われると、やったことが多すぎて説明しづらい。「BCCKS」は、無料で電子書籍や紙の本をつくって公開して売ることができるWebサービス。「OTOTOY」は音楽配信サービス。mp3から高音質のWAVまでダウンロードでき、DRMフリーの音源、つまりコピーとか普通にできる音源のみをこだわって扱っている。それと「未来検索ブラジル」は、「2ちゃんねるを全文検索するサービスをつくろう」というところから始まった会社で、今は「Groonga」というすごい検索エンジンをつくり、「モリタポ」という仮想通貨を流通させている。

いわばインターネットとともに歩む"ウィザード"。インターネットというメディア、あるいはシステムのストロングポイントを熟知し、現代社会により使いやすいサービスを提示し続ける。そんな人物のインタビュー前編、まずは彼がなにを考え、どんな風にインターネットを活用しようとしているのか、のお話。

amazonとか、iTunes Storeに勝負を挑む

自虐と毒舌の二刀流をいいバランスで使い分ける。圧倒的なスキルと経験を持ちながら、どこかパンク好きなティーンのムードもある。こう見えて48歳。「若いっすねえ」と編集チームが感嘆すると「これでも最近はお肌の調子が悪いほうなんです」と笑った

ようするに、ネット周りのすごい人なのである。竹中さんはこれらのサービスを生み出し、プログラマーをやりつつ社長であったりCTOであったりしている。で、竹中さん自身は「ディジティ・ミニミ」という会社で、インターネットを使って今現在もいろいろなことを手がけている。

で、いろいろなことを手がけ過ぎていて「これをした人なのだ」を説明しづらい。

「そうなんですよね(笑)。僕ね、セルフマーケティングがヘタなんですよ。それで『坂本龍一さんのサポートをした』とか『小沢健二さんのユーストリーム中継の中の人』とか、有名なブランドにひっつく形で認識されることが多いんですよ」

坂本龍一さんのサポートというのは、たとえば1996年の『インターネット1996ワールドエキスポジション』における武道館ライブのネット配信。実は、ライブのリアルタイム配信は日本初だという。ついでにそういった有名どころになぞらえてもうすこし説明すると、村上龍さんのネット小説を配信したりする有料サービス「TOKYO DECADENCE」を立ち上げたり。で、のちに、『希望の国のエクソダス』の主人公・ポンちゃんのモデルになったり(これは仕事ではないけれど)している。そして、タワーレコードのCTOになり、"早すぎた"音楽サブスクリプションサービス「ナップスター」を実質的に日本で動くようにした。

天才プログラマーであり、そのスキルを大いに生かした戦略家であり、経営者である。でも、その辺をうまく打ち出していくのもイヤらしいしカッコ悪いと考えている含羞の人でもある。

これはまったくの偶然なのだが、竹中さんは古くからのauユーザーである。乗り換えたのはネットワーク第2世代。

「PDCの時代ですね。僕の端末の実装が古かったせいかもしれないんですが、音声が5秒間に10回ぐらい途切れるんですよ。普通に会話するぶんには全然支障はないし、誰も指摘しないんですけど、それが気になってキャリアを乗り換えたんです」

途切れるといってもシステム上そうなるだけで、普通に電話で話すぶんには大して問題はなかったという。でも竹中さんにはそれが不快でしょうがなかった。で、auに乗り換えた。auのPRをしているのではない。冒頭に紹介した、竹中さんが現在提供している主なサービスのことをちょっと思い出してみよう。

「電子書籍や紙の本をつくって公開して売る」
「音楽配信サービス」
「すごい検索エンジン」

これ、順番にいえば、

アマゾンでよくね?
iTunes Storeでよくね?
グーグルでよくね?

と、僕たちが日々使っているサービスの分野に、天才・竹中直純はわざわざ切り込んで行っている人物なのである。

システムの欠陥が見える!? ネット界の"救世主"。

実は取材スタッフのあいだで、なんとなくそういう話をしていたのだ。「竹中さんは"ネオ"なのではないか」と。ネオとは、映画『マトリックス』でキアヌ・リーブスが演じる主人公。劇中、人類は仮想現実の社会を生きていて、そのことをまったく自覚していないが、ネオにはこの世界がすべて数列でできていることが見える。ニセモノであることがわかっている。

もしかしたら竹中さんにもそんな"目"があるのではないかと。僕たちが普通に「便利だねえ」って使っている超巨大サービスの構造上の欠陥とか、ユーザーへの不誠実な態度とかが見えているのではないかと。PDCの音声の断絶を耳で聴き取っていたというエピソードを聞くにいたって、いよいよ「マジか⁉」となった次第。

「結果的にはそうなっているかもしれないですね(笑)。映画ではああいう表現になっていてやたらカッコイイんですけど、そのセンスを持っている人は、技術者の中に一定数いると思うんです。僕がそのひとりであることは間違いないでしょうね」

竹中さんには、そのセンスに加えて"歴史の積み重ね"があった。

初めてコンピュータ的なものに触れたのは中学生。小4の時にインベーダーゲームブームが訪れ、夢中になったいう下地がある。当時、めちゃくちゃ補導されたらしい。街の条例で学校帰りにゲームセンターに行くのが禁止されていたのだ。

「電子媒体を使ってゲームをするっていうことが僕のなかではえらく衝撃だったんです。で、自分でお金払ってやってることなのに理不尽だと思って、何度捕まっても行ってましたね(笑)。児童会長だったんですけどね」

ちなみに中学までは学校の勉強はめちゃくちゃできたらしい。

「中2の時に親にねだってマイコンを買ってもらって、ゲームのプログラムが載ってる雑誌があったので買ってもらって必死で打ち込んで、その通りの結果を楽しんで。それに飽きて、自分でプログラムを改造したり、自作ということを独学で始めました。コンピュータが自分の言うことを完全に聞く、自分の言うことしか聞かなくて、言った以上のことはしない......その感じがすごく面白くて。こういう風にコントロールが効くもの、論理的に動くものが好きになったんでしょうね」

これ、かつてのイギリスの名門スピーカーブランド「Rogers」から出た管球式アンプE-20a。「OTOTOY」ではハイレゾ音源を提供しているため、最高の試聴環境を準備している。あ、ちなみに竹中さんが出社していく先はここ以外に3〜4か所あるそうです

というような「ウィザード」としての下地を生成しつつ、同時にパンクの薫陶も受けていた。

お金の本当の価値とか運用の仕方とか、法律とかに関する知識が一切ないまま、パンクブームでスターリンやアナーキーといった初期の日本のパンクバンドから共産主義や無政府主義を叩き込まれる。実際に経済や社会に触れるはるか前に、パンクからそのあたりの価値観を学んでしまう。で、高校卒業後は、アパレルブランドに就職。

「大学進学」という選択肢がなんだかパンクス的価値観からしっくりこなかったし、80年代後半には「アパレルブランド」というプラットフォームが、ちょっと前の「IT企業」ぐらい光り輝いていた。で、アパレルショップで1年販売を担当したのち、両親からの懇願で大学進学。そして大阪のソフト開発会社でバイトを始めるや否やメキメキ頭角を現す。

「僕が中学の時に培った知識と技術でいきなり時給2,000円(笑)。出社初日にたぶん"アイツを試そうぜ"っていう空気があったんでしょうね。富士通のFMRっていうコンピュータ用のマウスドライバを書く仕事を振られて、1週間ぐらいで仕上げたらすごく驚かれて。僕としては呼吸するぐらいのことしかしてないんですよ。それで仕事がこなせるからサボれる。自分の作業が終わったらシムシティとかで遊んでるんですけど、その時間にもバイトの時給が発生するから最高じゃないですか。だから、これは職業だ! 当面これで食おうと思って(笑)」

今もその「当面」の延長線上にいる。一生の職業を決めねばならないという意識は、ない。

「タワレコの頃にちょっとわかったんです。そもそもテレビがあって本があって、新聞・雑誌、映画があって、そういう産業の人たちって、インターネットが出てきた時に脅威を感じて敵視したんです。でも僕は、大学時代からインターネットが生まれる過程をずっと見てきて、そういう風潮に違和感を覚えていた。中学時代にハマったパンクと同じ原始共産制がネットにはあるなって。つくったものはなんでもみんなで共有して、偉い人たちによる収奪もなければ腐敗もないっていう。それがインターネットなので、従来のメディアがそこを侵食するようであればひっくり返したい。僕がやってきているのはそれだけですね。ずーっとそれ」

<後編はこちら>

文:武田篤典
撮影:有坂政晴(STUH)