2022/10/20

国際通信の主要な手段は長波から短波へ

日本における国際通信は、1871年にデンマークの会社が海底電信ケーブルを敷設したことからスタートする。その後イタリアの電気技術者・マルコーニが無線電信機を発明したことで、国際通信は海底ケーブルから無線通信に移行。

無線通信のなかでも波長の長い電波が遠方まで伝わることがわかると、世界各国は大陸間の遠距離通信に「長波」を利用するようになった。「長波」とは、30〜300kHz(キロヘルツ)の周波数帯の電波のことで、地表面に沿って遠くまで届く特性をもつ。

巨大アンテナから長波を飛ばす 巨大アンテナから長波を飛ばす

だが長波には課題があった。長波を発生させるためには、大きな電力と巨大なアンテナを備えた通信所が必要だったことだ。さらに長波の通信に適した電波の数は世界で134と限りがあり、未使用の電波をめぐっては、先に国際無線局を建設した国が使用権を得る“早い者勝ち”の状態となっていた。

世界各国による長波に適した電波の争奪競争が激しくなるなか、1920年代後半に登場したのが、「短波」による通信方式だ。

周波数帯の3~30MHz(メガヘルツ)の電波を利用する短波通信は、当初は長距離通信には向かないと考えられていたが、電離層や地層に反射させることで、わずか数ワットで遠く離れた海外にまで送れることが明らかになり、国際通信の主要な手段は長波から短波へと急速に移行する。

電離層や地表に反射させて短波を飛ばす 電離層や地表に反射させて短波を飛ばす

無線通信が発展するにつれて、無線電話の実用化が世界各国で研究されるようになり、1927年にはイギリス〜アメリカ間で国際無線電話が開始。日本でも、1934年には国際電話株式会社が建設した名崎送信所(茨城県)と小室受信所(埼玉県)とマニラ(フィリピン)との間で、短波無線による日本初の国際電話サービスが開始された。

国際電話サービスを行うマニラ局 ボーダス装置で国際電話の監視を行うマニラ局

無線通信は、当時の海底電信ケーブルでは困難だった音声や画像の送受信も可能に。1936年のベルリン・オリンピックでは、国際電話回線を通して海を越えたラジオ実況中継も実現した。

そして1940年、国際電気通信株式会社が、海外放送専用の送信所として「八俣送信所(現KDDI八俣送信所)」(茨城県)を設立。現在でも日本で唯一の海外向け短波放送の送信所として業務を行っている。

昭和初期の八俣送信所(現KDDI 八俣送信所) 昭和初期の八俣送信所(現KDDI 八俣送信所)

折しも戦時下において短波による無線通信は、海底電信ケーブルのように対戦国に切断される恐れがなく、移動する部隊や船舶にとってはなくてはならない通信手段となっていった。

終戦直後の国際通信は、一部の中立国との電信連絡回線を残したのみで、ほとんどの回線が途絶えていた。そんななか日本では、国際通信サービスを運営する民営会社として、1953年、KDDIの前身となる「国際電信電話株式会社(KDD)」が設立された。

国際電信電話株式会社創立当時の事務所の看板

発足当時のKDDは、電信29回線、電話18回線、写真電報3回線など58回線でスタート。その後、通信回線の拡張を進め、限られた資産である周波数を極限まで活用することにつとめた。発足からわずか10年の1963年度末には、短波回線の数は292回線に達し、最盛期には会社発足当時に比べて電信回線は約7倍、電話回線は約3倍に増加する。

1956年には、KDDは短波を使用した国際テレックスサービスを日米間で開始。国際テレックスは利用者同士でダイレクトにやり取りができる双方向型のサービスとして、高度成長期には商社や銀行などが多く利用。国際通信の主要サービスに成長していった。

テレックス端末 テレックス端末

1960年代以降、日本の国際通信は短波から衛星通信や光海底ケーブルへと移っていくが、このように、戦時下の通信、高度成長期の通信を支えたのは短波であった。

今もなおKDDI八俣送信所では、休むことなく短波放送を使って日本の情報を世界に向けて送信し続けている。

※この記事は2021年9月29日の記事(https://time-space.kddi.com/au-kddi/20210929/3183)を再編集したものです。

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