2022/10/20

歴史的出来事を届け続けたKDDI山口衛星通信所の役割

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1964年、通信衛星を介して東京オリンピックが世界中に中継されたことをきっかけに、日本の衛星通信は一躍世界の注目を集めることになった。その後、1969年に、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段としてインド洋上に商業用通信衛星「インテルサットIII」が打ち上げられ、同年「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」が開所。

当時の「KDD山口衛星通信所」は、どういった役割を担っていたのだろうか。かつてKDDI山口衛星通信所のセンター長を務めた経験もある、KDDI 技術統括本部 グローバル技術・運用本部の河合宣行に話を聞いた。

KDDI 技術統括本部 グローバル技術・運用本部 河合宣行

「1969年7月16日、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功します。実はこのとき、ヨーロッパへのテレビ伝送は、大西洋上のインテルサット衛星ネットワークを利用する予定でしたが、衛星ネットワークの故障が発生してしまったのです。そのため、ヨーロッパへのテレビ伝送は、すべてインド洋上のインテルサット衛星にアクセスできるKDD山口衛星通信所の衛星ネットワークで行うことになりました」

突然のアクシデントにより、太平洋上の衛星からの情報をKDD茨城衛星通信所所で受信し、KDD山口衛星通信所に伝送することに。そこからヨーロッパへ向けて送信した。

「アポロ11号の月面着陸の歴史的映像は世界中の6億人もの人々が同時に見たといわれていますが、その重要な役割の一端をKDD山口衛星通信所が担っていたのです」

1990年代のKDD山口衛星通信所 1990年代のKDD山口衛星通信所

その後も、1972年のミュンヘンオリンピックや、テニスのウィンブルドン選手権のテレビ中継を行うなど国際的なイベントを伝送し、世界と日本を通信でつなぐ重要な役割を担ってきた。

「1980年代後半に海底ケーブルの技術革新が起こり、高速で大容量の伝送ができる光海底ケーブルの敷設が進み、国際通信の主役の座は徐々に衛星通信から光海底ケーブルへと移行していきました。いまや国際通信の99%は光海底ケーブルが担っていますが、それでもKDDI山口衛星通信所はいまも数々の重要な役割を果たしているのです」

では、現在はどのように使われているのだろうか。KDDI山口衛星通信所のセンター長を務めている高橋徳雄は、「KDDI山口衛星通信所の大きな役割のひとつに、携帯電話向けのバックホールがあります」と語る。

KDDI グローバル技術・運用本部 高橋徳雄

「バックホールとは携帯電話の基地局と基幹通信網(コアネットワーク)を結ぶ中継回線のこと。通常は大容量通信に適した光ケーブルを用いますが、物理的にそれができない状況や場所があります。光ファイバを引くことが困難な山間部や離島のエリアに対する携帯電話基地局展開や、災害時に通信回線が途絶えた場合などです」

2019年に起こった「令和元年房総半島台風」の影響で、千葉県のゴルフ練習場の鉄柱が倒れたことは記憶に新しい。その際にも、KDDI山口衛星通信所は力を発揮した。

「あのときは多くの光ケーブルや電線が切断されました。そのため、KDDI山口衛星通信所から電波を送り、臨時の可搬型基地局や車載型基地局のバックホール回線として活用したのです」

KDDI山口衛星通信所

ほかにも、光海底ケーブルのインフラが整っていない諸外国や島々、南極の昭和基地、船舶との通信も、KDDI山口衛星通信所が衛星通信でつなぎ続けている。

「衛星通信は24時間365日、片時も止めることが許されません。台風などで設備が故障したときには、夜間であろうと休日であろうと緊急出動できる体制を整えており、皆『通信を守る』という意識をもって日々、業務に取り組んでいます。これからも世界中の地域に『思いと笑顔』をつないでいくため、新しい技術を取り入れて発展させていきたいと思います」

KDDI グローバル技術・運用本部 高橋徳雄

2021年9月、KDDIはSpaceX社の衛星ブロードバンド「Starlink(スターリンク)」と業務提携を行い、au基地局のバックホール回線に利用する契約を締結。「Starlink」の通信衛星と地上のインターネット網を接続する地上局をKDDI山口衛星通信所に構築し、技術検証を進めている。

人類初の月面着陸やオリンピックなど、世界の歴史的行事を伝え、いまなお“現役”のKDDI山口衛星通信所だが、ここにきて宇宙への新たな挑戦がはじまった。

※この記事は2021年10月29日の記事を再編集したものです。