2022/10/20

通信の舞台は宇宙へ 日本の衛星通信の歴史

1950〜60年代、日本経済の著しい成長にともない、海外との通信需要は急増していった。当時、国際通信の主役は短波通信だったが、周波数帯域の狭さや通信品質の不安定さなどから、回線の増強には限界があった。こうした状況を打開したのが、衛星通信だ。

KDDI山口衛星通信所

衛星通信とは、地球の自転と同じ周期の軌道となる衛星を打ち上げ、各国からの電波を中継して世界中を結ぶ通信網のことだ。

アーサー・C・クラークが提唱した衛星通信の概念

1957年にソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功すると、アメリカも翌年「NASA(アメリカ航空宇宙局)」を設立し、第1号衛星「エクスプローラー」と第2号衛星の「ヴァンガード1号」を打ち上げる。米ソによる本格的な宇宙開発レースの幕開けだ。

日本も衛星通信システム実験への参加を申し入れたが、アメリカからは「衛星からの微弱な電波を受信できる衛星通信用アンテナを自前で建造すること」が条件として提示された。予算が少ない当時の日本では、欧米と同様の巨大アンテナを建造することは困難であったため、独自に新方式のカセグレン・アンテナを開発し、実用化に成功する。

カセグレン・アンテナの模型 カセグレン・アンテナの模型

カセグレン・アンテナとは、衛星からの微弱な電波を確実にとらえるために、凹型の主反射鏡の焦点部に凸型の副反射鏡を置き、アンテナ中心部に電波を集める新たな方式を採用したもの。このカセグレン・アンテナは、主反射鏡の後ろの広い場所に送信機や受信機を設置することを可能とし、性能の高さや操作性、建設費の安さなどから、後に世界の主流になっていく。

カセグレン・アンテナの仕組み

こうした動きと合わせて、1963年には衛星通信の実験用地球局として、茨城県十王町(現・日立市)に「茨城宇宙通信実験所(後のKDDI茨城衛星通信センター)」が開所する。同年、KDDの茨城宇宙通信実験所でアメリカと日本を結んで初のテレビ衛星中継実験が行われ、当日に突然起こったケネディ大統領の暗殺を伝えた。

さらに1964年、アジア初の開催となった東京オリンピックが通信衛星を介して世界中に中継され、日本の衛星通信は一躍世界の注目を集めることになる。

1966年、茨城宇宙通信実験所は「KDD茨城衛星通信所」として発足し、太平洋上に打ち上げられた商業用通信衛星「インテルサットII」を介して、アメリカとの国際通信を中継する役割を担っていた。1969年には、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段としてインド洋上に「インテルサットIII」が打ち上げられ、同年「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」が開所。

商業用通信衛星「インテルサット」。左からI号、II号、III号、IV号、V号 商業用通信衛星「インテルサット」シリーズ

以来、40年以上、茨城衛星通信所は日本の衛星通信の"東の玄関口"として、山口衛星通信所は"西の玄関口"として、それぞれ太平洋上とインド洋上の衛星との通信を担ってきたが、2007年にKDDIのネットワーク効率化の一環で、衛星通信施設はKDDI山口衛星通信所に統合された。

KDDI山口衛星通信所は現在も、24時間365日、世界に情報を発信する拠点として通信を守り続けている。

※この記事は2021年10月29日の記事(https://time-space.kddi.com/au-kddi/20211029/3201)を再編集したものです。

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