2021/10/29

【国際通信150年(3)】宇宙への挑戦!衛星通信でアポロ映像やオリンピックを伝えたKDDI山口衛星通信所

海外との電話やメールはもちろん、インターネット、SNSのやり取りも、今では気軽に行えるようになった。国際通信は飛躍的に便利になったが、その裏には先人たちの挑戦の歴史があった。その軌跡が東京・多摩市にある「KDDI MUSEUM(KDDIミュージアム)」に残されている。

「KDDI MUSEUM」は、約150年にわたる日本の国際通信の歴史を実物の機器や資料で解説するほか、歴代のau携帯電話とスマートフォンを一堂に展示、最新の5G&IoT技術も体験できる施設である。

KDDI MUSEUM(KDDIミュージアム)

日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年はその150年目の節目となる。そこで、国際通信の歴史や変遷を、「①日本の国際通信のはじまり」「②長波から短波へ~電波が世界をつなぐ」「③宇宙への挑戦、衛星通信」「④大容量光海底ケーブル時代」の4回の連載に分けて、「KDDI MUSEUM」の展示とともに紹介する。

宇宙への挑戦、衛星通信の時代へ!

3回目となる今回のテーマは、「宇宙への挑戦、衛星通信」。1950年代後半以降、アメリカとソビエト連邦(現ロシア)との宇宙開発レースが加速し、衛星通信が国際通信の主役となった経緯を、国際通信の研究者である大野哲弥さん監修のもと紹介する。加えて、国内最大級の衛星通信所「KDDI山口衛星通信所」が果たした役割も伝えよう。

KDDI山口衛星通信所

1950〜60年代、日本経済の著しい成長にともない、海外との通信需要は急増していった。当時、国際通信の主役は短波通信だったが、周波数帯域の狭さや通信品質の不安定さなどから、回線の増強には限界があった。こうした状況を打開したのが、衛星通信と海底ケーブルだ。ここでは衛星通信について紹介する。

最初に衛星通信の概念が提唱されたのは1945年(昭和20年)のこと。発案者はイギリスのSF作家、アーサー・C・クラークで、のちにSF小説『2001年宇宙の旅』の著者としても知られることになる。

赤道上空36,000kmに浮かぶ衛星の周期は地球の自転周期と同じため、この軌道に衛星を打ち上げると、地球の自転と同じく24時間で1周し、地上からは衛星が静止しているように観測できる。この静止衛星を太平洋、大西洋、インド洋上に配置し、各国からの電波を中継すると世界中を結ぶ通信網が実現できると、クラークは考えたのだ。

アーサー・C・クラークが提唱した衛星通信の概念 アーサー・C・クラークが提唱した衛星通信の概念

1957年(昭和32年)にソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功すると、これにショックを受けたアメリカは1958年(昭和33年)に「NASA(アメリカ航空宇宙局)」を設立し、第1号衛星「エクスプローラー」と第2号衛星の「ヴァンガード1号」を打ち上げる。米ソによる本格的な宇宙開発レースの幕開けだ。

衛星通信に早くから着目していたジョン・F・ケネディ大統領は1961年(昭和36年)、宇宙通信に関する大統領声明で、「すべての国が参加できる単一のグローバルな衛星通信システムを実現させよう」と演説し、全世界が平等に利用できる衛星通信ネットワークを構築しようと提案。後の国際電気通信衛星機構 (インテルサット)の基礎となる。人工衛星を用いた大陸間通信の実験が始まった。

日本独自の衛星通信用アンテナを開発

1962年(昭和37年)、アメリカは通信衛星「テルスター1号」を打ち上げ、アメリカ、イギリス、フランス間での世界初の衛星中継によるテレビ中継に成功する。これを機にアメリカ〜ヨーロッパ間での衛星通信実験が本格化する。

テルスター1号衛星の模型 テルスター1号衛星の模型(KDDI MUSEUM所蔵)

日本も衛星通信システム実験への参加を申し入れたが、アメリカからは「衛星からの微弱な電波を受信できる衛星通信用アンテナを自前で建造すること」が条件として提示された。当時、欧米で使用されていたアンテナは大がかりなもので、予算が少ない日本では、同様の巨大アンテナを建造することは困難であった。

そこで日本は、独自に新方式のカセグレン・アンテナを開発し、実用化に成功する。

カセグレン・アンテナの模型 カセグレン・アンテナの模型

カセグレン・アンテナとは、衛星からの微弱な電波を確実にとらえるために、凹型の主反射鏡の焦点部に凸型の副反射鏡を置き、アンテナ中心部に電波を集める新たな方式を採用したもの。このカセグレン・アンテナは、主反射鏡の後ろの広い場所に送信機や受信機を設置することを可能とし、性能の高さや操作性、建設費の安さなどから、後に世界の主流になっていく。

カセグレン・アンテナの仕組み カセグレン・アンテナは主反射鏡と副反射鏡を活用して衛星からの微弱な電波をとらえる

こうした動きと合わせて、1963年(昭和38年)には衛星通信の実験用地球局として、茨城県十王町(現・日立市)に「茨城宇宙通信実験所(後のKDDI茨城衛星通信センター)」が開所する。

開所当時の茨城宇宙通信実験所 開所当時の茨城宇宙通信実験所
茨城宇宙通信実験所の地球局 左/茨城宇宙通信実験所の地球局。当初、アンテナを保護するためのレドームに覆われていた。右/レドームの中のアンテナ

日米間初の衛星テレビ中継が伝えたのはケネディ大統領の暗殺!?

1963年(昭和38年)11月23日、開所したばかりのKDDの茨城宇宙通信実験所でアメリカと日本を結んで初のテレビ衛星中継実験が行われた。茨城宇宙通信実験所のカセグレン・アンテナは、地球を約3時間で周回する通信衛星「リレー1号」を正確に追尾し、電波を受信し続けた。放送内容はケネディ大統領から日本国民への録画メッセージを予定していた。

日米間初の人工衛星によるテレビ受信の公開実験

ところが、送られてきた映像はケネディ大統領のメッセージではなく、大統領の暗殺を伝えるという悲報であった。日米間初の衛星テレビ中継実験が行われたその日(現地時間11月22日)に、ケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺されたのだ。日本の衛星通信の歴史は、この衝撃的なニュースとともに幕を開けた。

ケネディ大統領の暗殺を伝えるニュース

実験から実用へ、衛星中継で世界のできごとがお茶の間に

第一歩を踏み出した日本の衛星通信は、1964年(昭和39年)、一躍世界の注目を集めることになる。アジア初の開催となった東京オリンピックが通信衛星を介して世界中に中継され、大きな感動を生んだためだ。そして、1960年代後半からは商業用通信衛星「インテルサット」の打ち上げにより、世界のできごとがお茶の間にも届けられるようになる。

商業用通信衛星「インテルサット」。左からI号、II号、III号、IV号、V号 商業用通信衛星「インテルサット」。左からI号、II号、III号、IV号、V号

1966年(昭和41年)、茨城宇宙通信実験所は「KDD茨城衛星通信所」として発足し、太平洋上に打ち上げられた「インテルサットII」を介して、アメリカとの国際通信を中継する役割を担っていた。1969年(昭和44年)には、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段としてインド洋上に「インテルサットIII」が打ち上げられ、それに合わせるかたちで、1969年に「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」が開所した。

インテルサットIII号 インテルサットIII号

なぜ山口県だったのだろうか?実は日本から「インテルサットIII」が見える仰角(地上から衛星方向を見上げる角度)の条件を満たすのは、“兵庫県の姫路市以西”だった。また、衛星通信は、全国テレビ中継網などに利用されていた地上マイクロ回線と同じ周波数(6GHz、4GHz帯)を使っていたため、地上のマイクロ回線との相互干渉を避ける必要があった。このため周りを山で囲まれ、衛星方向だけが開けて見える地形が望ましかった。さらに、地震や台風などの自然災害も少ないことを踏まえて山口県が選ばれたのだ。

開所当時のKDD山口衛星通信所 開所当時のKDD山口衛星通信所

以来、40年以上、茨城衛星通信所は日本の衛星通信の"東の玄関口"として、山口衛星通信所は"西の玄関口"として、それぞれ太平洋上とインド洋上の衛星との通信を担ってきたが、2007年にKDDIのネットワーク効率化の一環で、衛星通信施設はKDDI山口衛星通信所に統合された。

アポロ11号の月面着陸を山口からヨーロッパに配信

1969年(昭和44年)に開所した「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」は、当時どのような役割を果たしたのだろう。かつてKDDI山口衛星通信所のセンター長を務めた経験もある、KDDI 技術統括本部 グローバル技術・運用本部の河合宣行に話を聞いた。

KDDI 技術統括本部 グローバル技術・運用本部 河合宣行 KDDI 技術統括本部 グローバル技術・運用本部 河合宣行

――これまでKDDI山口衛星通信所はどのような衛星通信業務を担ってきたのでしょうか?

「KDD山口衛星通信所は1969年5月10日に開所しましたが、その約2カ月後の7月1日には英国チャールズ皇太子の立太子式を日本国内に中継して、日英間初のテレビ伝送に成功しました。このときはイギリスからの情報を、インド洋衛星を経由してKDD山口衛星通信所で受信し、山口衛星通信所から茨城衛星通信所へ伝送、茨城衛星通信所から太平洋衛星を経由してカナダとオーストラリアにテレビ伝送を行ったのです。

1969年、英国チャールズ皇太子の立太子式のテレビ伝送

同年の7月16日には、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功します。実はこのとき、ヨーロッパへのテレビ伝送は大西洋上のインテルサット衛星ネットワークを利用する予定でしたが、この衛星ネットワークの故障により、ヨーロッパへのテレビ伝送はすべてインド洋上のインテルサット衛星にアクセスできるKDD山口衛星通信所の衛星ネットワークで行ったのです。

太平洋上の衛星からの情報をKDD茨城衛星通信所所で受信し、KDD山口衛星通信所に伝送。そこからヨーロッパへ向けて送信しました。アポロ11号の月面着陸の歴史的映像は世界中の6億人もの人々が同時に見たといわれていますが、その重要な役割の一端をKDD山口衛星通信所が担っていたのです」

1990年代のKDD山口衛星通信所 1990年代のKDD山口衛星通信所

――世界の歴史的なニュースをKDD山口衛星通信所が伝えてきたんですね。

「その後も1972年に開催されたミュンヘンオリンピックのテレビ中継を行うなど、国際的なイベントを伝送し、世界と日本を通信でつなぐ重要な役割を担ってきました。また、1985年に電気通信事業を民営化する『通信自由化』が実施された流れの中で、BS放送やCS放送など、さまざまな衛星通信・放送のサービスが生まれました。テニスのウィンブルドン選手権といった海外のスポーツや、有名アーティストの音楽ライブなどを伝える手段として、衛星通信はより身近なものとなっていったのです。

1987年ワールドカップ・ラグビーのKDDの広告 1987年にニュージーランドとオーストラリアで開催されたワールドカップ・ラグビーのKDDの広告

また、KDDI山口衛星通信所は、欧州のみならず、アフリカや中近東の50以上の国々との回線をつなぐ玄関口としても重要な役割を果たしてきました。KDDI山口衛星通信所からインド洋衛星を臨む運用は、低仰角、多雨という世界でも類を見ない技術難度が高いものです。特に強雨時に、雨滴によって、偏波と呼ばれる電波の傾きが変化し電波干渉が発生する問題に苦しめられていましたが、これを回避する画期的なシステムを開発し、不利な条件の中でも安定的な運用を実現しました。

一方、1980年代後半に海底ケーブルの技術革新が起こり、高速で大容量の伝送ができる光海底ケーブルの敷設が進み、国際通信の主役の座は徐々に衛星通信から光海底ケーブルへと移行していきました。いまや国際通信の99%は光海底ケーブルが担っていますが、それでもKDDI山口衛星通信所はいまも数々の重要な役割を果たしているのです」

KDDI山口衛星通信所の現在の役割とは?

KDDI山口衛星通信所

JR山口駅からクルマで20分ほど走らせた山間の里にKDDI山口衛星通信所がある。東京ドーム3.5個分という広大な16万平方メートルの敷地には、大小23基のパラボラアンテナが設置されているが、現在はどんなことに使われているのだろう?現在、KDDI山口衛星通信所のセンター長を務めているKDDI グローバル技術・運用本部の高橋徳雄に聞いた。

KDDI グローバル技術・運用本部 高橋徳雄 KDDI グローバル技術・運用本部 高橋徳雄

「KDDI山口衛星通信所の大きな役割のひとつに、携帯電話向けのバックホールがあります。バックホールとは携帯電話の基地局と基幹通信網(コアネットワーク)を結ぶ中継回線のことで、通常は大容量通信に適した光ケーブルを用いますが、物理的にそれができない状況や場所があります。

たとえば、光ファイバを引くことが困難な山間部や離島のエリアに対する携帯電話基地局展開や、災害時に通信回線が途絶えた場合。2019年に起こった『令和元年房総半島台風』は、千葉県のゴルフ練習場の鉄柱が倒れたことで記憶に新しいと思いますが、あのときは多くの光ケーブルや電線が切断されました。そのため、KDDI山口衛星通信所から電波を送り、臨時の可搬型基地局や車載型基地局のバックホール回線として活用しました。2018年の『平成30年7月豪雨(西日本豪雨)』の際は広島県で携帯基地局への光ケーブルや電線が寸断されたため、KDDI山口衛星通信所が臨時の可搬型基地局や車載型基地局のバックホール回線の役割を担いました。

――KDDI山口衛星通信所は非常時の通信エリアの確保にも役立っているんですね。

「ほかにも、光海底ケーブルのインフラが整っていない諸外国や島々などに、通信衛星から電波を送っています。実は南極の昭和基地も、KDDI山口衛星通信所と衛星通信でつながっているんですよ。

南極の昭和基地にある衛星通信用アンテナ 南極の昭和基地にある衛星通信用アンテナ

また、船舶でもクリアな音声や快適なデータ通信ができる衛星通信サービスにも使用していますし、海外で見られるNHKの国際放送『NHKワールド』の国際放送の送信もここから行っています」

KDDI山口衛星通信所

――世界に情報を伝える衛星通信を守り続けて、今年で52年が経ちますね。

「衛星通信は24時間365日、片時も止めることが許されません。山口県は、地震や台風の発生が少ないエリアですが、ときにはここにも台風がやってきます。台風などで設備が故障したときには、夜間であろうと休日であろうと緊急出動できる体制を整えており、みんな『通信を守る』という意識をもって日々、業務に取り組んでいます。これからも世界中の地域に『思いと笑顔』をつないでいくため、新しい技術を取り入れて発展させていきたいと思います」

 KDDI グローバル技術・運用本部 高橋徳雄

新しい技術への取り組みはすでにはじまっている。

2021年9月、KDDIはSpaceX社の衛星ブロードバンド「Starlink(スターリンク)」と業務提携を行い、au基地局のバックホール回線に利用する契約を締結。「Starlink」の通信衛星と地上のインターネット網を接続する地上局をKDDI山口衛星通信所に構築し、技術検証を進めている。

人類初の月面着陸やオリンピックなど、世界の歴史的行事を伝え、いまなお“現役”のKDDI山口衛星通信所だが、ここにきて宇宙への新たな挑戦がはじまったのだ。

次回は、1980年代に大容量化を実現し、現在では国際通信の99%を担う海底の大動脈「光海底ケーブル」について伝えたい。

大野哲弥さん

1956年、東京生まれ。立教大学経済学部卒業、放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。博士(コミュニケーション学/東京経済大学)。1980年、国際電信電話株式会社(KDD)入社。退職後、放送大学非常勤講師などを歴任。著書に『通信の世紀―情報技術と国家戦略の一五〇年史―』(新潮社)、『国際通信史でみる明治日本』(成文社)。

文:TIME&SPACE編集部

※掲載されたKDDIの商品・サービスに関する情報は、掲載日現在のものです。商品・サービスの料金、サービスの内容・仕様などの情報は予告なしに変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。

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