2019/05/21
災害に備えて「通信」ができること 『釜石鵜住居復興スタジアム』に込められた思い
ここは岩手県釜石市。
この街に新設されたばかりの「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」で、今年2019年の秋、ラグビーの国際大会が開催される。同時に、世界中から集まる多くの観客のために、KDDIはスタジアムに新しい携帯電話基地局(=基地局)を開設した。
基地局とは、携帯電話の電波を送受信するアンテナが設置された施設のことで、これによって、その地域で携帯電話が使えるようになる。今回、地域の復興の象徴もいえる「釜石鵜住居復興スタジアム」に基地局を開局したことは、東日本大震災の直後から被災した各地で基地局の再建をすすめてきたKDDIにとっても特別な思いが込められている。
災害に備えて「通信」になにができるのか。
釜石市を訪れた。
鉄と魚とラグビーの街に建てられた新しい携帯電話基地局
釜石は「鉄と魚とラグビーの街」である。
日本最大の釜石鉱山を擁し、近代製鉄が始まった場所。市が面する三陸海岸ではホタテにサケにウニにアワビと、最高の海の幸が豊富に水揚げされる。そして1978年から1984年まで、全国社会人ラグビーフットボール大会で史上初の7連覇を達成した新日鉄釜石ラグビー部があったのが、この街だ。
新日鉄釜石ラグビー部の流れを汲むクラブチーム「釜石シーウェイブス」はジャパンラグビートップチャレンジリーグに所属し、今も活動している。
JR釜石線の終点・釜石駅を降りた目の前が、この風景だ。この街のラグビー熱は、高い。
そして昨年、「釜石鵜住居復興スタジアム」が完成した。
釜石駅から、このさわやかな赤青の列車に乗って2駅目の鵜住居駅が最寄りなのだが……。
さて、この車体に見覚えはないだろうか?
2013年、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』のオープニング映像で激走していただけでなく、ドラマで主要な役割を果たした三陸鉄道(劇中では北三陸鉄道)である。この電車に乗ると、スタジアムへの最寄駅・鵜住居までは十数分。
ちなみに三陸鉄道も、JR東日本が釜石〜宮古間の復旧工事を完成させ、今年3月、盛〜久慈間の163kmが全線開通した。
2019年に開催されるラグビー国際大会への電波対策
こちらが「釜石鵜住居復興スタジアム」。
2019年9月25日にフィジーvsウルグアイ戦、10月13日にナミビアvsカナダ戦が、ここで行われる。
スタジアムのある鵜住居は、津波で生活圏の中心部がほとんど流されてしまった地域である。このスタジアムは震災で被害を受けた旧・鵜住居小学校、釜石東中学校の跡地に建てられている。釜石市の復興のシンボルとなっている。
ここに世界中から1万6,000人ものラグビーファンがやってくる。その時に携帯電話を快適に使えるよう建てられたのがこの基地局だ。
メインスタンドの左側裏手にそびえ立っている焦げ茶色の塔。目立たないように配慮されているが、未来に大きな一歩を踏み出そうとしている街と世界をつなぐ基地局といえるだろう。
この基地局の建設を担当し、東北エリアの通信インフラの保守運用を行っているKDDI仙台TC(テクニカルセンター)の小野寺毅と尾形雅美に話を聞いた。
「この基地局は2019年3月に完成しました。スタジアムのキャパシティは、通常は6,000人なのですが、秋のラグビーの国際試合開催時には仮設スタンドを建て、1万6,000人を収容する予定です。その客席に向けて電波を飛ばすためにはメインスタンドの屋根に電波が遮られない高い位置にアンテナを設置する必要があり、柱の高さは30mになりました」(小野寺)
30mというと、通常のこうした立地の基地局のおおよそ倍の高さである。また、基地局の素材には鋼管柱が採用されている。通常は電柱のようなコンクリート柱や鉄骨を組んで構成されているのだが、この基地局、搭載しているシステムがとにかく重いのだという。
「1万6,000人ものお客様に快適に携帯電話を使用いただくためには、多くの周波数帯をカバーする無線機を設置する必要があるんです。無線機自体は地上に置くのですが、アンテナとつなぐためのケーブルの数が非常に多くなり、そのぶん、柱にかかる荷重が大きくなります。それに耐えるには、頑丈な鋼管柱を採用する必要があったのです」(尾形)
実は鋼管柱は、基地局最新の設備ではない。むしろ古いタイプなのだと尾形は言う。
「すでにauの携帯電話はほとんどの場所でつながる状態まできているので、これほど大規模な基地局を作ることは今ではあまりないんです。スタジアムは1カ所に同時に多くの人が集まるので、この大きさの基地局にする必要があったんです」(尾形)
通常の基地局は6〜9カ月で作られるが、この基地局は完成までに1年を要したという。小野寺と尾形は、力強くそびえ立つこの基地局を見上げて感慨深げだ。
「今日、仙台からクルマで釜石まで来るあいだに、2人で話していたんです。“2011年にもあの地域で基地局を立てたな”、“あのときは大変だったな”って」(小野寺)
実は小野寺と尾形は8年前にも仙台で勤務しており、KDDIの東北における基地局建設の仕事をしていた。震災時には、通信の復旧のために東北中を走り回っていたのだ。
災害による壊滅的なダメージから通信を復旧させるまで、そこには現場の人間だけが知る苦悩があった。それゆえに復興の象徴ともいえる「釜石鵜住居復興スタジアム」基地局の設置にはひとかたならぬ思いがあった。
東日本大震災をどう乗り越えてきたか
ラグビーの祭典を見据え、各地からやってくる人たちが快適に携帯電話を使えるよう、新しい基地局を建てることができたのは、東日本大震災による甚大な被害からの復旧あってのことだ。
小野寺は当時を振り返る。
「東日本大震災後、私たちがまず取り組んだのは基地局の全局調査でした。数千におよぶ東北地方の基地局を全スタッフで手分けしてすべて確認しました。このときには、実際に建設工事を行った業者のみなさんに大いに協力いただきました。立て直さねばならないのか、補修できるのかは建設工事を担当した方々がいちばんよくわかっていますので」(小野寺)
結果、2,000近くの基地局が機能を停止していることがわかった。まずは、それらを復旧する必要があった。もともと基地局があり、震災前に携帯電話がつながっていたエリアを元どおりにするところからスタートしたのだ。
「設備を交換したり、修理すれば再び起動できる基地局もありましたが、倒壊したり、津波に流されて消失している基地局も少なくありませんでした。同じ場所に建てることができればいいのですが、地形が変わってしまった地域も多く、それが無理な場合はあらためて、そのエリアのどこに基地局を建てたらいいのかということと、どうしたらより多くのお客さまに効果的に電波をお届けすることができるのかを検討し直しました」(尾形)
2人が担当した基地局は「数百局」。来る日も来る日もクルマで走り回り、基地局を復旧させる作業と、新たに建設するための場所の調査・選定に追われた。避難所や役場など、一刻も早く携帯電話の復旧が必要な場所に関しては、持ち運びできる可搬型基地局や、車両1台で携帯電話をつなげることができる車載型基地局を活用した。
また、本来のエリアよりも遠くに電波を届けることができる「レピーター基地局」を設置することもあった。こちらは震災後に石巻に建てられたレピーター基地局である。
本来の基地局は、光ケーブルでつながる交換局を通して電波を届けているのだが、レピーター基地局にはその必要がない。近くで機能している基地局や、いち早く復旧できた基地局の電波を受信して増幅し、遠くに電波を届けることができるからだ。
光ケーブルを敷設する必要がないぶん、迅速に建設でき、通信を復旧することができる。ただ、これは応急策なので、ひとまずレピーター基地局を建てておいて、のちにケーブルを敷設し直し、正式な基地局に戻すこともある。
災害に負けない基地局の建造へ
震災後の通信の復旧は、もともと携帯電話が使えていた場所をまたつながるようにする文字どおりの「復旧」だけではない。
地震と津波で、かつての街は多くが深刻なダメージを受け、仮設住宅が建てられ、高台や内陸部が新たに住宅地として整備され、移り住んだ人も少なくない。あまり人が住んでいなかったような場所に新たに仮設住宅が建てられた。そうした場所でも快適に携帯電話が使えるようにしなければならないのだ。
「KDDIの基地局の情報は掴めたのですが、どこに人が移動し、その場所で携帯電話がきちんと通じるかどうかは、机上の情報だけではわかりません。そのため、震災直後から現地に出向き、携帯電話が通じるか、通じないかを聞き取り、社内で共有しました」(小野寺)
もともと携帯電話が通じていたエリアの電波状態が「完全に復旧した」という宣言をKDDIが出したのが、震災発生から3カ月後の2011年6月。しかし、もちろんそれで終わりではなかった。
「実際には、かつての基地局を復旧させる作業をしながら、新しいエリアへの対策も並行して取り組んでいましたし、震災に負けない設備づくりが重要だと考えて試行錯誤しながら実践していました」(小野寺)
そんな設備のひとつがこちら。三陸海岸に面した山の頂にある「無線エントランスHUB局」である。東日本大震災後に建てられたものだ。
基地局は、携帯電話から受けた電波を光信号に変換して光ケーブルで交換局へとつなぐ。無線エントランスHUB局は、通常の基地局が光ケーブルで信号を送る区間の一部を無線で代替するものだ。
「三陸沿岸地域は基地局の光ケーブルが損壊している状況で、通常ならば、それでもうその基地局は機能を失ってしまうんですが、無線エントランスHUB局を使用することで、光ケーブルが生きているエリアと損壊しているエリアをつないで復旧させることができます」(小野寺)
無線エントランスHUB局があれば、自然災害などによって基地局と基地局を結ぶ光ケーブルが切れても、通信が途絶えることはなくなる。だが、三陸はリアス式海岸のため、内陸部と沿岸部を崖が阻んでおり、設置するにはできるだけ見通しのよい場所を選ぶ必要がある。
「山の向こうの基地局と無線電波をつなぐための中継局ですから、できるだけ高い場所、すなわち山頂に無線を中継する局を建てる必要がありました。ただし、山頂までは道路もなくてクルマではアプローチできない場所もありました。」(尾形)
そこで一計を案じた。
資材を運ぶために、山頂までモノレールを敷設したのである。建設は困難だったが、その場所に無線エントランスHUB局を建設する必要があった。
通常、基地局を建てる場合、「もっとも効果的にそのエリアに電波を届けられる場所であること」に加えて「工事のしやすい場所であること」も条件となる。そもそも、道路もなく現場まで山道を行かねばならない場所は、除外されることになる。しかし、無線エントランスHUB局に関しては、立地上そこがベストだったのだ。
設備工事のためにモノレールまで敷設したのは、あとにも先にもこの時だけ。
無事に無線エントランスHUB局を開設したあと、モノレールは役割を果たし、撤去工事も行われた。
スタジアムを中心に盛り返す街全体をつなげるために
震災後の通信復旧と、新しいエリアへ電波を届ける取り組みは、通常の何倍ものスピードで、何倍もの数の基地局を建設することでなされた。そして現在は復旧という段階から、さらなる未来を見据えた対策に着手している。
スタジアムのある鵜住居(うのすまい)町は、釜石市でもっとも多くの被害が出た地域だった。
今、「釜石鵜住居復興スタジアム」だけではなく、津波で失われた地域の中心部も新しく生まれ変わりつつある。スタジアム脇の電波基地局は、そういった新しい街の姿も視野に入れて開設されたものなのだ。
鵜住居駅前に「うのすまい・トモス」という施設が作られている。
かつての「防災センター」の跡地に、震災伝承と防災学習のための「いのちをつなぐ未来館」が建てられ、その脇には慰霊追悼施設「釜石祈りのパーク」が、そしておみやげ屋さんや食堂などが一体となった「鵜の郷交流館」も誕生している。
ここでは、釜石で水揚げされた新鮮な海の幸が格安で味わえる。
また、同じエリアには釜石市民体育館も建設中だ。
スタジアムがあり、体育館が生まれ、鵜住居は釜石市の新しいスポーツ拠点として生まれ変わろうとしている。KDDIの新しい基地局は、それらにも電波を届ける役割を想定している。
「いのちをつなぐ未来館」に、現在の鵜住居地域の航空写真が展示されていた。
左に「釜石鵜住居復興スタジアム」が見える。
かつて人々が生活していたエリアの多くが更地になり、多くの人が内陸部に移転した。だが今、ポツポツと新しい住宅が建ちつつある。駅と「うのすまい・トモス」は、そのまさに中心にある。
「以前、鵜住居地域は、平地に建てられた基地局1局で地域の携帯電話通信に対応することができていたのですが、それが津波で流されてしまいました。震災以降、仮設住宅など内陸部に移ったので、それにあわせて基地局を建設し直し、地域の通信を支える体制をとっています」(小野寺)
復旧だけでなく、これからを見据えて
スタジアムの横に建てられた新しい基地局は、ラグビー国際大会の際に訪れる1万6,000の観客に対応するためだけではない。
「祭典のひとときだけでなく、釜石の鵜住居に多くの人々が訪れ、もともとあった生活圏を蘇らせることを想定して設置しているのです」(尾形)
「鵜住居という地域の、今後の発展も踏まえて対策することが重要」と尾形は言う。
「駅近辺に様々な施設ができ、新たに住宅が建ち並び、またここに生活圏が生まれたときに、お客さまに快適に携帯電話を使っていただけることを考えています」(尾形)
震災によって、人々の暮らす場所や環境が大きく変わった。それでも「重要な生活インフラのひとつとして、ストレスや不安なく携帯電話を使っていただけるようにしておくのが私たちの使命です」と小野寺は言う。
「総務省の『東日本大震災ICT復興促進連絡会議』や各自治体に、新たな都市整備の計画や帰還状況などの情報が集約されています。生活拠点が変わる地区に関しては、街並みが完全にできるよりも先に基地局を建て、そこでの生活が始まったときにはすでに通じているようにする必要があります。そういった生活圏の変化に伴う動線の変化には、今後も的確に対応していきます」(小野寺)
震災での経験を踏まえ、ほかにも以下のような「未来への対策」が行われてきた。
●東北エリアの官公庁や駅など、重要スポット周辺の市街地をカバーする基地局では、停電時でも機能するための非常用バッテリーの24時間化。
●三陸自動車道・釜石自動車道・東北中央自動車道など、震災時に避難や支援に活用される高速道路や国道などに関しては、いついかなるときでも携帯電話がつながるよう対策を進行中。
●三陸海岸の孤立解消のための無線エントランスHUB局を建設。通常時にも使用しているが、災害時のバックアップとして活用を想定。
「震災で多くの基地局が停止したことで、家族の安否を知ることができず不安な日々を過ごされた方がいらっしゃいました。その後も、すぐに通信を復旧できない地区があり、携帯電話が使えず困ったという話を聞き、携帯電話がなくてはならないライフラインのひとつであることを肌身で感じました」(小野寺)
「震災以前から、通信が重要インフラであることを理解していたつもりでしたが、今ではより強く、なにがあっても止めてはいけないと考えています。そのためにできることをこれからも考えながら、お客様の声を聞きながら実践していきたいと思います」(尾形)
取材が終わり、アテンドしてくださった釜石市の職員の方に取材のお礼を伝えた際、小野寺がその方になにごとか耳打ちし、頭を下げた。
「今度、日をあらためて、スタジアム内の電波調査をさせてください」
2019年7月27日、「釜石鵜住居復興スタジアム」においてラグビー日本代表とフィジー代表によるテストマッチが行われる。集まる数千の観客に、盛り上がる鵜住居の街の状況に、きちんと電波が対応できるのか、小野寺の頭の中はそれだけで一杯だ。
「なにがあっても電波を止めない」の根っこあるのは、それを支える人間の情熱なのだ。
文:武田篤典
写真:中田昌孝(STUH)
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