2018/12/21
海上から被災地の通信を支援する! 日本初『船舶型基地局』の舞台裏
日本初の船舶型基地局、発進!
2018年9月6日午前3時8分に発生した北海道胆振東部地震。M6.7、最大震度7を記録し、道内に大きなダメージを与え、「通信」もまた大打撃を受けていた。
震源地近くの苫東厚真火力発電所が損壊、機能を停止。発電インフラの保護のため、被害を受けていない別の発電所も自動的に送電を停止したため、全道が停電する「ブラックアウト」が発生した。
そのため、道内に設置したKDDIの多くの携帯電話基地局がその影響を受けた。被災者にとっても、家族の安否を確認したい人にとっても、災害時に携帯電話が使えない状態は一刻も早く復旧する必要がある。
KDDIは震災発生同日の9月6日、この緊急事態に際して、海底ケーブル敷設船「KDDIオーシャンリンク」を北海道へ向けて出航させることを緊急決定した。機能停止した基地局の代わりに、船上からも携帯電話の電波を届けるためだ。
携帯電話の基地局は、通常、陸上に設営されている。これらが自然災害などで機能を失った際には、専門のチームが現地に赴き、通信を復旧することになる。壊れた基地局を修理することもあるが、復旧までの期間を受け持つ臨時の基地局を仮設することもある。「可搬型(=持ち運びできる)基地局」と呼ばれるものだ。
そうした基地局を船上に設営、海路で被災地に接近し、衛星アンテナで受信した電波を海上から発信するという「船舶型基地局」の運用は、日本初の試みであった。
災害直後、「運用災害対策本部」発足
震災発生とほぼ同時に、東京・新宿のKDDIビルには「運用災害対策本部」が立ち上げられた。中心となったのは「運用本部」。日ごろから24時間365日体制でKDDIサービスを監視している部署である。
「運用災害対策本部」では、社員の安否確認や被災地の状況確認、そしてKDDIサービスへの影響確認が行われ、通信設備の復旧プランを策定していった。その復旧プランを策定し、そのひとつとして「船舶型基地局」の派遣を立案。KDDIオーシャンリンクの出動が決定した。
KDDIオーシャンリンクは、KDDIが光海底ケーブルの敷設・埋設や修理・保守を行うために運用している船である。全長133.16m、総重量9.510トン。この船に、昨年、携帯電話基地局として使用できる衛星アンテナが配備されていた。
船上に設置した携帯電話の基地局である「船舶型基地局」から電波を送るための装備は、以下のような構成だ。
①衛星アンテナで得た信号を、②無線機が4G LTEと3Gの電波に変換し、③サービスアンテナから陸上に向け発射する。なお、これらが配置されるのはKDDIオーシャンリンクの矢印の位置。操舵室の真上に当たる。
なぜ衛星通信を使うのか、疑問に思われる方も少なくないだろう。
通常、携帯電話による通信は基地局を介して行われる。携帯電話から発信された電波は、まず最寄りの基地局に届き、光信号に変換される。そして、地中にも海中にも全国くまなく張り巡らされた光ケーブルを経由し、相手の最寄り基地局まで届く。そこで再び電波に変換されて相手の携帯電話に届く。
基地局の機能停止により、電波の入口と出口が封鎖されたため、光ケーブルを経由するのではなく、電波を衛星経由でやり取りするのだ。
震災発生直後、陸路で苫小牧港へ向かうことは困難をきわめていた。
船舶型基地局の運用を決断したのは、苫小牧港の通信復旧を目指したからだ。
「災害対策本部」で基地局の復旧を担当したKDDI 運用管理部の上口洋典は語る。
「苫小牧港は北海道の海の玄関口にあたります。そのため震災後、しばらくすると船で本州から支援物資やインフラ復旧のための機材が届き、かつ、多くの応援の人々がやってくることになります。その際、苫小牧港の通信が寸断されたままだと、復旧作業に支障をきたしてしまうことになります」
本来、光海底ケーブルの敷設と保守のための船である「KDDIオーシャンリンク」に携帯電話基地局に用いる衛星アンテナが装備されていたのは偶然ではない。2011年の東日本大震災以降、地道に準備された船舶型基地局が、ようやく昨年実現したのだ。
今回の「災害対策本部」で衛星通信を担当したグローバルネットワーク・オペレーションセンター 衛星通信グループリーダーの高橋徳雄は言う。
「2011年3月の東日本大震災の折、道路が寸断され、通信が途絶えてしまったエリアの通信が復旧できないという問題があり、それ以降『船による海上からの復旧』というプランを推進してきました」
だが、東日本大震災当時は船のように移動するものに、携帯電話の基地局を設置することは法的に認められていなかった。
「その後、中国総合通信局、海上保安庁を中心に、船舶を利用した通信復旧を行うための検討会が立ち上がり、翌年には大手通信3社が合流しました。『災害時における携帯電話基地局の船上開設に向けた調査検討会』をベースに実証実験を繰り返し、2016年には船から携帯電話の電波を発射しても良い、という法整備が行われたのです」
「まさかこんなに早く出動の機会がくるとは思ってもみませんでした」(高橋)
新宿のKDDIビルに「運用災害対策本部」が設置されたおよそ5時間後。9月6日午前11時40分にKDDIオーシャンリンクの出動が決定した。だが、急を要したのは船の出動だけではなかった。
実際にKDDIオーシャンリンクに乗り組んだスタッフ
今回、KDDIから乗船したスタッフは8名。
5人が運用管理部・上口洋典の部下で、基地局の無線機を担当するチーム。残り3人が衛星通信グループ・高橋徳雄の部下で、衛星との接続や調整を担当するチームだった。
衛星通信グループの宮内良輔が「KDDIオーシャンリンクの出動があるらしい」と聞いたのは、震災当日の午前10時ごろだったという。
「心の準備はできていました。そのため乗船の命令を受けたあとは、最低限の着替えなどをかき集めて、12時ごろにはもう横浜港に向かっていたと思います」
次々に乗船メンバーが決まっていくなか、基地局の無線機を担当する運用管理部の尾崎勝政は「今回、自分はないだろう」と予想していた。
「災害対応が続いており、交替で翌日から休暇をとっていました。この日のお昼頃に、KDDIオーシャンリンクに乗船することになった同僚に社食で“がんばってこいよ”って声をかけていたほどでした。それが出航予定3時間前の午後2時ごろにに、上口から“尾崎、船に乗って仕切ってくれるか?”といわれたのです」
尾崎は長年、基地局の保守・整備に携わり、災害に関わる出動経験も豊富で現場の指揮に長けていた。
巨大な船を被災地に送るということで、通信の復旧とともにKDDIが自社の災害対策用に備蓄している物資も送ることになった。
水と非常食約3トン、さらにはスマホ、ケータイがまとめて充電できる充電スポットや、現地でWi-Fiスポットを稼働させるための機材などを積み込み、KDDIオーシャンリンクは当初の予定より約1時間遅れで横浜港を後にした。
ミッションは2つ。
①船上基地局で苫小牧港の通信を復旧する
②被災地に支援物資を届ける
到着直前に目的地変更。迫られた決断
苫小牧までの所要時間は45時間。尾崎は「船上では心静かに現場への到着を待っていた」という。
「今回、乗船した無線担当の5人は災害の現場に行くことに慣れた、いわばプロたちでした。船上基地局といっても、地上でやることと基本は変わりませんので、設置場所の確認を行った後、電波発射のイメージはできていました」
「船酔いとプレッシャーでボロボロでした」と言うのは、衛星通信担当の宮内だ。
「実は今回、いつも可搬型基地局で用いる衛星とは違う衛星の回線を使うことになったのです。大規模災害で基地局がダウンしたエリアに電波を届けるわけですから、可能な限り多くの方に利用いただきたいということで、通常よりも帯域の広い衛星を使う必要がありました。そのため現場に着いたら、いつもとは違う衛星をキャッチし、適切な設定を行わなければならないので、ずっと緊張していました」
一方、そのころ北海道では徐々に電力が回復しつつあり、9月8日午前、KDDIオーシャンリンクの航海終盤には、すでに苫小牧港の通信は復旧していたのだ。
上口は言う。「そこで、われわれは決断に迫られました」
このとき、KDDIオーシャンリンクのミッション①「苫小牧港の通信を復旧する」ことはクリアされていた。当初の予定通り苫小牧港に入港すれば、ミッション②「支援物資を届ける」ことは可能だ。
「ですが、苫小牧港の約20km先の日高町は、通信がまだ復旧していない状態だったんです。そこで本部では、目的地を日高町に変えられないかという議論になりました」(上口)
詳細な計画に基づいて航行している大型船の航路の変更は容易ではない。9,000トン級のKDDIオーシャンリンクが航行するには、最低でも海の深さは20mが必要だが、苫小牧港より先の詳細な海図は用意されていなかった。しかも苫小牧以東のむかわ町、日高町は漁業の町で、そこかしこに定置網が張られていた。
だが、尾崎は行き先変更を強く主張した。
「この先の日高沿岸部は、まだ通信できていません!」
海上から携帯電話の電波を送受信するシステムは、船上に揃っているのである。苫小牧に入港せず、先に進めば、携帯電話が繋がらない多くの人々を手助けすることができる。
乗り組んだKDDIスタッフたちも、新宿の「災害対策本部」に進路の変更を強く訴えた。
何はともあれ、まず携帯電話の電波を復旧させたかった。
航路変更の期限ギリギリ、9月8日午前11時に災害対策本部は、KDDIオーシャンリンクの進路変更を決定。苫小牧港には入港せず、日高町方面へ進み、そこから沿岸に向けて電波を送ることになった。
その決断に、KDDIオーシャンリンクの航行スタッフは応えた。
「苫小牧港を通り過ぎて10kmほど行き、その後は船側のスタッフのみなさんが定置網の目印になるブイを双眼鏡で目視しながら、ゆっくりゆっくり進んで行きました。そのおかげで、最終的に日高町の陸地から10kmあたりの沖合にたどり着くことができました」(尾崎)
日高町沖10kmに停泊したのは、9 月8 日14 時ごろ。
そこから陸地に向けて、携帯電話の電波を送り始めたのは、同日19時43分。
日高町沖10km 基地局設置の背景
電波発射に至るまでの作業には、通常の倍以上の時間を要した。
衛星通信グループの宮内良輔はその日を振り返る。
「いつもより時間がかかったのは衛星の調整でした。はじめての衛星だったこともあり、開通後に衛星回線と基地局の接続にも時間を要しました」
いつもと違う衛星を使うという判断は、新宿の災害対策本部でなされたものだった。
運用管理部の上口洋典が補足する。
「陸上で可搬基地局を持ち込んで設置する場合は、電波は限られたエリアにスポット的に送ります。今回のように、沖合から広いエリアに向けて電波を送るというケースは初めてでしたので、できるだけ帯域の広い衛星を使おうということに決定しました」
衛星通信グループの高橋徳雄は言う。
「バックアッププランとして細い回線も用意していましたが、太い衛星回線は、いわばぶっつけ本番。現場の宮内にとっては相当プレッシャーだったと思いますよ」
宮内の近くで無線機の設営作業を行なっていた尾崎勝政も「プレッシャー」について同意する。
「私たちはいつもどおりの作業でしたので、およそ2時間で設営は完了していました。あとは衛星の設定を待つばかりで、作業している宮内の背中に“さあ、早く電波発射しよう!”っていう視線は送っていた覚えがあります」
そして9月8日19時43分、新宿の災害対策本部の上口洋典は「電波、発射しました」という声を聞いた。
その瞬間、新宿でも船上でも同じように拍手が起こった。
震災発生から64時間35分後、それは全体からすると一地域ではあるけれど……北海道日高町近辺に再び携帯電話の電波が送られた。
船上基地局から電波の発射 その後、人々は
これは9月9日、つまりKDDIオーシャンリンクから電波を発射し始めた翌日の夕方。衛星通信グループの宮内良輔が撮影した写真だ。
「電波を発射できたときは安心感でいっぱいでしたが、それが継続して使えるよう監視する作業もありました。もし、回線が切れたらすぐ調査すべく、発射した日はほぼ寝ることができませんでした」
だが翌日、携帯電話の品質や利用量が安定しているのを確認し、デッキにふと出たとき、初めて船からの景色に気がついた。
「めちゃくちゃ夕日がキレイじゃないか! って思わず写真を撮ったんです。少しホッとした瞬間でした」
同じように「ホッとした瞬間」を尋ねると、運用管理部の上口洋典は「KDDIオーシャンリンクに乗船したメンバーの元気な写真を送ってもらったとき」と答えた。
ただ、彼自身に安息のときは訪れていなかった。
「ひとまず船舶型基地局は、日高町に電波を吹いたに過ぎません。道内には、まだまだ復旧していない基地局がいっぱいあったので、自然と次はどうするか、その次は、その次は……って考えていました」
船舶型基地局、任務完了。そして次なる任務へ
日高町の沖合10kmから電波を送り続けたのは、9月11日午前8時30分まで。そのころには沿岸の基地局が復旧。上口の指示でKDDIオーシャンリンクは船舶型基地局としてのミッションを完了した。
同日15時ごろ、当初の目的地だった苫小牧港に入港。
物資を届けるというもうひとつのミッションを遂行するためだ。
苫小牧港への入港同日。
失われた携帯電話の電波を復旧しに来たKDDIスタッフは、KDDIオーシャンリンクの運航スタッフと協力し、積荷を降ろし、トラックに積み込むところまで担当した。
苫小牧港から物資は次々と道内全域に運ばれていった。
こうして北海道胆振東部地震発生当時に横浜港を出航したKDDIオーシャンリンクは、おおよそ6日間のミッションを終了させた。だが乗り組んだKDDIスタッフたちには、すぐに新たなミッションが課せられた。
衛星回線をシャットダウンし、機材をまとめて飛行機で帰京する宮内と別れ、尾崎は可搬型基地局を陸送することになったのだ。
「苫小牧港入港の翌日に、“台風21号で被害を受けた関西に機材を運ぶ”というミッションを受けました。クルマ2台、4人で苫小牧から栃木県の佐野まで、基地局の機材を陸送。関西まで運んでくれるスタッフに機材を託しました」(尾崎)
災害復旧に力を尽くすことができたという事実に、ミッションに参加したKDDIスタッフからは大きな安堵感と充実感を見て取ることができた。しかし最後に、高橋と上口からは出た言葉は、自らへの厳しい言葉だった。
「いつもの倍以上かかった分を、次はいつも通りにする……、さらにもっと縮めていく。私たちがもたついている時間に連絡を取らないといけない人たちがいます。どうやって今回の差を縮めるか。振り返りをしつつ、改善点を探していきたいと思っています」(高橋)
「災害が起きたら、いち早く復旧させねばなりません。お客様をお待たせするわけにはいけません。常に、あらゆる災害を想定して、次はもっと早く! そんなふうに挑戦し続けるのが、私たちのミッションです」(上口)
日本初の船舶型基地局として、沖合10kmから日高町に通信を届けるという試みは成功した。が、これはもはや“試み”ではなく“手段”。非常時に海路からの通信を復旧するという対策を手に入れたに過ぎない。
KDDIは「海」だけでなく、「陸」、そしてドローンなどを活用した「空」からの災害対策にも取り組んでいる。スマートフォンや携帯電話は、大切なライフラインのひとつになる。平時はもちろん非常時にも迅速に利用者へ電波を届けるために、KDDIの取り組みはこれからも続く。
文:武田篤典
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