2019/03/27

年表から紐解く平成の携帯電話史 ケータイ・通信会社の『社名変遷』を振り返る

ケータイが生まれ、そしてケータイによって世の中が昭和から一気に様変わりした平成という時代。各携帯電話のブランドがいつ頃スタートし、どんな経緯をたどって現在に至るのか?

まずはこちらの表をご覧いただきたい。

主な電気通信事業者の変遷 【こちらをタップ】主な電気通信事業者の変遷
出典:「テレコミュニケーション虎の巻」より

こちらの表には、1952年から2015年にかけての主な電気通信事業者の変遷がグループごとにまとめられている。驚くほど細かいが、1985年の通信自由化以降、それだけ多くの通信事業者がひしめいていたということでもある。

続いてこちら。上の表を携帯電話ブランドの変遷に簡略化したものだ。

平成30年の主要通信事業者の変遷

平成30年間におけるau、ソフトバンク、NTTドコモの変遷に対象を絞り、各社の代表的な機種やサービスを追記したもの。こちらのほうが、よりわかりやすいだろう。

当記事ではこの表をもとに、各社の現在に至るまでの変遷を振り返ってみる。

IDO、DDI-セルラーグループ、ツーカーがauケータイに

まずは「au」について。IDO(日本移動通信)と、DDIセルラーグループ(各地域のDDIセルラー系会社)が、それぞれ携帯電話事業を展開してきたが、2000年(平成12年)に一本化され、新統一ブランド「au」として誕生した。なお同年に、DDI、KDD、IDOの合併により「KDDI」が発足した。

そして「ツーカー」も2005年(平成17年)に合併され、auとして展開されることとなった。

■auのブランドロゴの変遷

初代のauブランドのマーク 初代のauブランドのロゴ(2000年~2003年9月)
2代目のauブランドのマーク 2代目のauブランドのロゴ(2003年10月~2012年1月)
auブランドのマーク 現在のauブランドのロゴ

auが展開してきたサービスのなかには、業界初の画期的なものも少なくない。1996年(平成8年)に誕生した着信メロディー、いわゆる「着メロ」をさらに発展させ、CD音源そのものをケータイにダウンロードして着信音に設定できる「着うた」や、PCとケータイがシームレスに連携する総合音楽サービス「LISMO」はその代表例だ。また、2000年(平成12年)に初の耐衝撃・耐水性能を備えたタフネスケータイ、同年に初の音楽再生機能付きケータイ、そして2005年(平成17年)に初のワンセグ対応ケータイを発売したのもauだった。

LISMOのロゴ LISMOのロゴ

また、2003年(平成15年)にはau Design projectの第1弾となる「INFOBAR」を発売し、 “デザインケータイ”という一大ムーブメントを巻き起こした。そして、そのコンセプトは後の「iida」へと受け継がれていった。

INFOBAR au Design projectの第1弾となった「INFOBAR」

J-フォン、ボーダフォン、そしてソフトバンクへ

「ソフトバンク」に至るまでは、幾度かブランド名が変わってきた。1999年(平成11年)、「デジタルホン」「デジタルツーカー」「J-フォン」ブランドに統合。2001年(平成13年)には英ボーダフォン傘下となり、2003年(平成15年)には日本でのブランド名も「ボーダフォン」に。そして、2006年(平成18年)に「ソフトバンクモバイル」、2015年(平成27年)に「ソフトバンク」となる。

スマホやケータイにカメラが付いているのは今でこそ当たり前だが、その先駆けとなったのは、ソフトバンクの前身であるJ-フォンから2000年(平成12年)に発売されたシャープ製「J-SH04」だ。それはのちに「写メール」というサービス名として定着し、「写メ送って」など一般的な用語としても広く浸透した。

またiPhoneに関して、日本に初上陸した2008年(平成20年)当時はソフトバンクモバイルが先駆けて発売。その後、2011年(平成23年)にはau、そして2013年(平成25年)にはNTTドコモからも発売開始となった。

「NTTドコモ」はずっと「NTTドコモ」のまま

「NTTドコモ」は、NTT移動通信網として1992年(平成4年)に発足。「mova」や「FOMA」といったケータイサービスを展開してきた。ブランドロゴは2008年(平成20年)に一度変えているものの、ブランド名自体はサービス開始から現在まで変わっていない。

平成のケータイ業界においてNTTドコモが与えたもっとも大きなインパクトは「iモード」だろう。1999年(平成11年)にスタートしたiモードは、ケータイひとつでメールの送受信やウェブサイトの閲覧が可能。通話がメインだったケータイの利用法を一変させたといっても過言ではない。なお、その後、IDOがEZaccess、DDIセルラーがEZweb(auに統合後はEZwebに統一)、そしてJ-フォンがJ-スカイウェブと、他社も同様のウェブサービスをスタートした。

また、いわゆる「おサイフケータイ」の先鞭をつけたのもNTTドコモであり、日本初のFelica対応ケータイ(iモードFeliCa)を2004年(平成16年)に発売している。

かつて栄華を誇ったピッチの歴史を振り返る

平成におけるケータイの歩みを振り返るうえで、PHS(通称ピッチ)も触れないわけにはいかないだろう。1994年(平成6年)にNTTグループの「NTTパーソナル」、KDDIグループの「DDIポケット」、そして独立系の「アステル」がPHSのサービスをスタート。ケータイに比べて安価で手軽に使えることから人気を博し、学生を中心に多くの利用者を獲得した。しかし、のちにケータイの通話料が下がったことでPHSとの価格差は縮まり、またエリアの広さや品質の面でケータイとの差は徐々に広がっていき、利用者は減少。
アステルは2003年(平成15年)から2006(平成18年)年にかけてサービスを終了。NTTパーソナルは1998年(平成10年)にNTTドコモへと事業が譲渡された後、2008年(平成20年)にサービスを終了するに至った。DDIポケットは2004年(平成16年)にKDDIグループから離脱。その後、2005年(平成17年)に「ウィルコム」へとブランド名が変更されたのち、ソフトバンクグループの「ワイモバイル」へと引き継がれている。

平成が終わる今年、次世代移動通信「5G」が始まる

平成の30年のあいだに通信関連技術は劇的に進化した。ディスプレイはモノクロからカラーになり、画面は大型化。のちにケータイからスマホへ移行し、2010年(平成22年)以降は各社4G LTEのサービスを開始。高速インターネット接続は当たり前になった。

そして平成最後の年である2019年、奇しくも各社が新しい移動通信システム「5G」のプレサービス開始を予定している。次の時代はどのような技術でどのようなサービスを展開し、私たちをワクワクさせてくれるのか、楽しみで仕方がない。

文:榎本一生
イラスト:Seisakujo

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